っているらしかった。その一組は呼吸の通っている人達とみえて、声柄に何の変りもなかったが、今一つの組が肉身を具えたこの世の人たちでなかったのは、その物言いぶりが何よりもよく語っていた。紛れもない幽魂《たましい》そのものの声で、それを耳にすると、掘りかえされた墓土の黴臭い呼吸と、闇に生れた眼なし鰻の冷さが気味悪く感じられた。恐いもの見たさの物好きが強く働いていなかったら、若い漁師はそこそこに舟を漕いで、遠くへ逃げ出したかも知れなかった。
「すると、お前たちが心静かに月に見とれていると、そこへこちらの二人が無理に入って来たというのだな。」
だしぬけにこういう声が聞えた。その声には、口喧嘩《いさかい》をし合っている輩《てあい》のものとは似てもつかない重々しい力があった。若い漁師はすぐにそれを社廟の神様のお声だなと気づいて、軽い身顫いを覚えた。
「さようにございます。手前どもが永い間閉じ籠められた常闇《とこやみ》の国から抜け出して来て、久しぶりに見たのが今夜の満月でございましょう。手前どもはあの青白い光を見ると、むかしのいろんなことを思い出して、唯もう夢のような気持で、水際の草の上に蝗《いなご》のように脛《すね》を折り曲げて、じっとあたりの静かさを楽しんでいたものでございます。そこへいきなり理不尽に割り込んでござらしたのがこの旦那衆で……。」
喧嘩の片われは、下様《しもざま》な雑人《ぞうにん》だと見えて、言葉つきにどことなく自ら卑下したところがあった。他の一人がすぐ後を引取った。
「いさかいは、そこから始まったのでございます。手前どもの団欒《まどい》に、そこのお二人が割り込んで見えなければ、悶着《もめ》は起らなかったはずです。どうか正しいお裁きが願いたいもので……。」
「それはいかん。」神様は苦々しそうに相手をたしなめた。「おまえ達は、相当な身なりをしているくせに、何故あってそんな不作法な真似をするのだ。一体何者なのか。おまえ達は……。」
「詩人です。二人とも。」
相手の一人は得意そうに言い放った。その声にはみだらな女と酒とのにおいがぷんと籠っているように感じられた。若い漁師はそれを聞いて、この人たちは詩を作ることを、魚を獲ることと同じように、立派な職業《しごと》だと考えているらしい。魚は市場に持って往けば、いつだって金に替えることが出来るが、詩と来たらてんで引取手《
前へ
次へ
全121ページ中69ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング