の言ふところが最も当を得てゐる。それによると、利休と同じ時代に泉州堺に笠原七郎兵衛、法名吸松斎宗全といふ茶人があつて、後に還俗《げんぞく》侘助といつたが、この茶人がひどくこの花を愛玩したところから、いつとなく侘助といふ名で呼ばれるやうになつたといふのだ。
 それはともかくも、侘助椿は実際その名のやうに侘びてゐる。同じ椿のなかでも、厚ぽつたい青葉を焼き焦がすやうに、火焔の花びらを高々と持ち上げないではゐられない獅子咲《ししざき》のそれに比べて、侘助はまた何といふつつましさだらう。黒緑の葉蔭から隠者のやうにその小ぶりな清浄身《しやうじやうしん》をちらと見せてゐるに過ぎない。そして冷酒のやうに冷えきつた春先の日の光に酔つて、小鳥のやうにかすかに唇を顫《ふる》はしてゐる。侘助のもつ小形の杯では、波々《なみなみ》と掬《く》んだところで、それに盛られる日の雫《しずく》はほんの僅かなものに過ぎなからうが、それでも侘助は心《しん》から酔ひ足《た》つてゐる。

        四

「この花には捨てがたい侘があるから。」
かういつて、同じ季節の草木のなかから侘助椿を選んで、草庵の茶の花とした茶人の感覚は、確かに人並すぐれて細かなところがあつた。壁と障子とに仕切られた四畳半の小さな室は、茶人がその簡素な趣味生活の享楽を一※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1−88−72]《ひとわん》の茶とともに飽喫しようとするには、努めて壁と障子との一重《ひとえ》外に限りもなく拡がつてゐる大きな世間といふものを忘れて、すべて幻想と聯想《れんさう》とを、しつかりとこの小天地の別箇の生活のうちに繋《つな》いでゐなければならぬ。
 それには生活の方式がある。その方式といふのは、長い間かかつて磨かれた簡素な象徴的なもので、例へば、釜の蓋《ふた》の置き場所から、茶杓《ちやしやく》の柄の持ち方に到《いた》るまで、きちんと方式が定まつてゐて、それを定められた通りに再現することによつて、方式それみづからの持つ不思議な力は、壺《つぼ》のやうに小さな茶室に有り余るほどゆつたりとした余裕《ゆとり》と沈静《おちつき》とを与へ、そこにゐる主客いづれもの気持に律動と諧調とを生みつけ、また日ごとにめまぐるしくなりゆく現実の生活とは異《ちが》つた、閑寂と侘とのひそやかな世界を皆のうちに創造しようとする。
 そのひそやかな世界
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