まいものでもない」
 かう思つた持主は、その肩衝を持参して、訳を話して以前の持主に返さうとしました。以前の持主は強くかぶりをふつて、
「うち砕いて土に戻した雲山に、まためぐりあはふなどとは思ひもかけませぬことぢやて」
といつて、てんで相手にもしなかつたさうです。

        四

「利休が結構至極と折紙をつけたさうな」
 この評判は器の値打をだんだんとせり上げました。疵入の雲山は数寄者から富豪へ、富豪から大名へと、次々に譲渡されて、最後にすばらしい値打と評判とをもつて、ある東国の大名の手に納まりました。
 それを聞きつけたのが、その頃丹後宮津の城主であつた京極安知でした。安知は茶器のためだつたら自分の家来はいふまでもないこと、ただひとつしか持つてゐなかつた小さな魂をも売るのを厭はないといつた性《たち》の大名でした。
「雲山が所持したい。あれさへ所持できたなら、茶入の望みは生涯またと持つまいに」
 安知はかう言つて、しみじみと歎きました。そして病気にさへなりました。その容態を看るべく京極家に迎へられた某といふ医者は、安知の病気が自分の持ち合せの医薬では、とても治らないことを見てとり
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