え沸《たぎ》つてゐました。主人の顔からはいつのまにか押しつけがましさが消えて、物を頼むときのやうな弱々しい表情が見え出しました。利休は眼ざとくそれを見て取りましたが、何事にも気のつかない振りをしてゐました。いつだつたか、利休は前田|玄以《げんい》の茶会で、主人の玄以が胴高《どうたか》の茶入を持ち出してきて、
「この肩衝が……」
と、茶入の胴高なのに気がつかないで、しきりと肩衝を繰り返して、利休の意見を聞きたがつてゐるのに出会つたことがありました。利休はいまさらそれを胴高だと教へもならず、をかしさをこらへてただ黙つてゐると、それがひどく玄以の機嫌を損じたかして、その後はうばうで自分のことを悪様《あしざま》に言ひふらし、果ては太閤殿下にまで讒訴《ざんそ》を試みてゐるといふことを聞いてゐるので、こんな場合の沈黙が、どうかすると自分の一身にとんでもない災難をもたらさないものでもないことをよく知つてゐました。しかし自分はこの道の宗匠である。自分の一挙手一投足は長くこの道の規範として残り、自分の一言は器の真の価値を定める最後の判断であるのを思ふと、滅多なことは口に出せませんでした。利休はただ黙つてゐました。
茶がすんで、利休が席を退くと、その少し前からやつと気持の平静を取り返したらしい主人は、雲山の肩衝を手のひらに載せて、しばらくぢつと見とれてゐましたが、いきなりそれを炉《いろり》の五徳に叩きつけました。茶入は音をたてて砕け散りました。
「何をなされます、こんな名器を……」
席に居残つて、何かと世間話に興じてゐた二人の相客は、びつくりして主人の顔を見つめました。
主人はそれには何も答へないで、静かに羽箒《はばうき》を取つてそこらに飛び散つた挽茶《ひきちや》の細かい粉を払つてゐました。
「何をそんなにお腹立ちで、こんな名器をお毀《こは》しなされた」
二人の客はいくらか不興げな顔をして、腑に落ちなささうに訊きました。
「いま時利休が賞め言ひとつ申さぬものを……」主人はどうかすると興奮しさうになる自分の心を、強ひて抑へつけるやうに、一語一語力を籠めながら、ぼつりぼつりと息を切つて言ひました。
「賞め言ひとつ申さぬものを秘蔵したとあつては、末代までの恥辱でござるからな」
誇りを持つた主人の言前《いひまへ》に、二人の客は顔を見合せて口を噤《つぐ》むよりほかには仕方がありません
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