清浄心の芬香こそは、持前の大きな球根の髄から盛り上げてくる水仙の生命そのものなのである。
 どうかすると粉雪のちらつかうとする頃だけに、恋の媒介者である小蜂など、気まぐれにもここに訪れてこようとはしない。むかし、孟蜀にすぐれた術士があつた。この男は、画の道にかけてもかなり評判が高かつたので、ある時領主が召し出し、御殿の前庭の東隅で一つがひの野鵲の画を描かせたことがあつた。すると、どこからともなく色々の小鳥がその近くへ飛んできて、べちやくちやと口喧《くちやかま》しく騒ぎ立てた。それに驚いた領主は、さらにまたその頃花鳥画家として声名の高かつた黄筌《くわうせん》を召し出し、庭の西隅で同じやうに一つがひの野鵲を描かせたが、今度は別に何の不思議も起こらなかつた。領主はその理由を筌に訊ねた。
「おそれながら私の画は藝でございますが、あの男のは術の力でできあがってをりますので……」
 かういつて答へた黄筌の面《かほ》には、そんな小供|騙《だま》しのから騒ぎなどには頓着しない、真の藝術家にのみ見られる物静かな誇りがかがやいてゐたといふことだが、私は今水仙の純白な花びらに、小蜂の騒音などを少しも悦ばない、高い超越と潔癖とを見ることができる。
 それだからといふではないが、水仙の子房は一粒の実をも結ばない。ちやうど尼僧が子を孕《はら》まないのと同じやうに……



底本:「泣菫随筆」冨山房百科文庫、冨山房
   1993(平成5)年4月24日第1刷発行
底本の親本:「樹下石上」創元社
   1931(昭和6)年
入力:本山智子
校正:林 幸雄
2001年7月6日公開
2006年1月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング