の根の円つこさは、玉の箸のやうだ。
私は老いて身うちが冷えるが、これさへあつたら健かでゐられよう。」
と、いつて喜んでゐるが、その季節が秋だつたのからして察すると、蔬菜は旬《しゆん》はづれで、春のものに比べて、食べ劣りがしたに相違ない。そんなことを思ふと、このか弱い、吹けば飛びそうな小菜のひとつびとつに、生命の蘇りとともに滋味を与へることを忘れなかつた「春」の心遣ひがしみじみと感じられないではゐられない。
ただ不思議でならないのは、私がこの葷菜を初めて口にしたころは、その臭みが鼻について仕方がなかつたものだが、とかくして食べ馴れてゐるうちに、いつのまにかその臭みが苦にならないのみか、どうかするとなつかしまれ出してさへも来たといふことだ。聞くところによると、マレエ半島産のヅリアンといふ果実は、味にかけてはすばらしく甘いが、そのいやな臭みがとてもたまらないので、大抵の人はしりごみをするさうだが、辛抱して食べ馴れてゐるうちに、その悪臭までもが、なくてならないもののやうになつて来るといふことだ。――物に馴れるといふことは、そんなものかも知れない。
底本:「日本の名随筆59 菜」作品
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