ころとなると、大地の温みに長い冬の眠から覚めたこの小さな蔬菜は、その扁べつたく、柔かな葉先で、重い畔土のかたまりを押し分けて、毎日のやうに寸を伸して来る。貧しい生活の農民たちが、鰆の白子でも買つて、それを汁の実にしようとする場合には、誰も彼もがいひ合せたやうに、なくてならないものとして、韮の若葉を浮かしに摘み取ることを忘れない。それほどまでにこの葷菜と魚の白子とは、汁にしてよく性が合ひ、味が合ふのだ。
二
むかし、支那の晋代に人並はづれた酒好きで、一度飲むと、三日も酔が醒めないところから、三日僕射といふ綽名を取つた周※[#「豈+おおがい」、第3水準1−94−1]といふ人があつた。この人の子孫に周※[#「偶のつくり+おおがい」、第3水準1−93−92]といふ清貧な隠者がゐた。
この周※[#「偶のつくり+おおがい」、第3水準1−93−92]が思ひ立つて、隠遁生活を送るべく、鍾山の山深く閉籠つたことがあつた。その知人の一人で、幼いころから宰相の器として世間に重んじられてゐた王倹といふのが、ある時※[#「偶のつくり+おおがい」、第3水準1−93−92]にこんなことをきいたものだ
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