時でした。松井佐渡守が戸棚の奥に忘れられてゐた、あの小壺を思ひ出しましたのは。
「殿、わたくし手許にも、かやうな小壺を一つ所持いたしてをります」佐渡守は、仲間喜平が薬師峠の一軒茶屋で手に入れた、小壺のいきさつを事細かに申し述べました。「夙《はや》くより御覧に入るべくは存じてゐましたが、作柄のつたない上に、永らく野人の手にかけました品ゆゑ……」
「作柄がつたないとは、誰が見てのことか」忠興は皮肉に訊きました。「佐渡、そちが眼では茶器の鑑定はむつかしからうぞ」
「恐れ入ります。でも、御覧に入れましたところで、お笑ひを蒙りますのは必定で……」
「達《た》つて所望いたす、すぐに持参いたすやうに」忠興は前にある小壺の列に、ちらと眼をくれながら、「この上凡作をいまひとつ加へたところで、おれが所領の大きさを知る上には、少しも差支へないのぢや」
 小壺は佐渡の屋敷からすぐに取り寄せられました。忠興は一目それを見ると、
「おう、これは……」
と言つたきり、そのまま座を立つて奥へ入りましたが、しばらくすると、礼服に着かへて出てきました。皆は不審さうな顔をして、ものものしい主君の身なりを眺めました。
「これ
前へ 次へ
全21ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング