抱かずにはゐられませんでした。
「殿には、いかうお気に召しました御様子、わたくし持ちましては冥加にあまる品、この小壺はこのまま御納戸に留めおかれますやうに」
 さき方から忠興の様子をぢつと見てゐた佐渡守は口を出しました。
「いや、ならぬ。小壺はやはりそちの手許で秘蔵すべきものぢや」
 忠興はうろたへ気味に、小壺に吸ひ付けられた二つの眼を引きちぎるやうに離して、並みゐる人たちのはうを見かへりました。その眼のうちには、憎悪と渇仰と嫉妬と愛着との焔が、ごつちやになつて痛々しさうに燃えてゐました。

        四

 その後間もなく、松井佐渡守は老死しました。瀬戸の小壺は遺言によつて、相続人の手から細川家に献上せられました。

「たうとうやつて参つたな」
 忠興は前々から、こんな日が到来するのを予知してゐたかのやうに言ひました。そして物に憑かれたやうな眼つきをして、二重箱のなかから小壺を取り出して見ました。その後、佐渡守が手塩にかけていたはり通しただけあつて、置形の味はひには、以前にも増して心をひかれました。
「やはり、天下一の瀬戸ぢや」
 さう思ふと、忠興はその次の瞬間には、もう仲間喜平の名を思ひ出してゐました。忠興にとつて、これはまるで宿命的な聯想でありました。
 忠興は、父幽斎以来自分の家に秘蔵してゐる、数多い茶入のいろいろを思ひ出してみました。そして頭の中で、さうした伝来の器とこの小壺とを並べて、名品比べをしてみました。秘蔵のものには、文琳も、肩衝も、瓢箪もありました。口作り、肩の張り、胴の照り、露先のおもしろみ。――さういつたやうな部分部分の味はひには、それぞれ他の及び難い美しさと誇りとを持つてゐましたが、壺そのものの全体から光のやうに放射してくる「品格の高さ」と「器のたましひ」とになると、とてもこれとは比べものにならないやうに思ひました。
 さういふ秀れた名器が、あらためて家のものになつたのだと思ふと、忠興は充分の満足を味はひました。しかし、広い世界に二人とはないはずの、この名器の発見者が、自分ではなくて、賤しい仲間風情であるのを思ふのは、彼自身にとつても、また器にとつても、一種の恥辱であるやうに忠興には感じられました。この小壺が秀れてゐて、それを見ると、いつも頭が下る気持がするだけに、忠興は仲間喜平の汗じんだ埃だらけな掌面に、自分の額を押へつけられてゐるやうな苦痛をさへ感じ出しました。

        五

「もしや、おれの眼が低くて、鑑定《めきき》が誤つてゐるのではあるまいか……」
 忠興はふとこんなことを思ひ出しました。亡くなつた松井佐渡の口からは、仲間喜平とやらは、茶道のはうには何の心得もない、無知なもののやうに聞いてゐた。そんな心得のないものが、ふとした機会で拾つてきたものを、自分が一目見て、
「天下一の瀬戸ぢや」
と口を極めて賞め立てたとしてみると、今日まで茶道の巧者として、自らも他人も許してゐたものの眼が、無知なもののそれと偶然一致したといふよりも、ことによると、その巧者として許されてゐたものが、案外道の入り立ちが浅く、眠が低かつたせゐだつたかも知れない。――と忠興は思ひました。さう思ふと、彼はわが眼に自信が持てなくなりました。
「一度古田|織部《おりべ》に見せるとしよう。あの男は将軍家の師範役だから……」
 忠興はかう思ひきめました。そして織部の一言で、自分の眼が低いか高いかがきまるのだ。高いときまつた場合には、自分は今まで通りわが眼に自信を持つことができるが、仲間喜平の名前は、いつまでも悪夢のやうに自分につきまとふに相違ない。もしまた低いときまつた場合には、自分は喜平の悪夢から遁れることはできるが、その代り名器と自信とを両《ふた》つとも失ふのだ。と思ふにつけて、忠興は悲壮な気特に身うちのひきしまる感じを味はひました。

        六

 古田織部は、つくづくと見入つてゐた眼を、木の枝から果物をもぐ折のやうに、労《いた》はりながらそつと茶入からひき離しました。
「これこそ、真実天下一の瀬戸と拝見いたした。稀代の名器、随分珍重なされたがよろしからうと存じます」
 織部は、いかにも感に堪へたやうに言ひました。
 それを聞くと、忠興はほつとして、自分の眼に間違ひはなかつたなと思ひました。それと同時に、またしても仲間喜平の名が、鉛のやうな重さをもつて、心の上にのしかかつてくるのを覚えました。しばらくして織部はまた言ひました。
「……随分珍重なされたがよろしからうとは存じますが、御当家ほどの御家で、瀬戸のみの珍重もいかがなれば、この上に唐物《からもの》の名物をお求めあつて、その唐物以上に珍重なされてしかるべく存じます」
 唐物の名物――この一語を聞くと、忠興の胸は、急に日光がさしたやうにぱつと明るくなり
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