芸を覚えます。むかし笛の名人に柳田将監という男がありました。自分の茶室の潜《くぐ》り近くに竹製の刀掛を拵えておきました。ある日の事、将監が笛を取り上げて、自慢の一曲を吹き出すと、側から涼しい声でそれに音を合わすものがあります。将監は不思議に思って、声のするところを探しますと、それは刀掛の竹からで、竹のなかに雨蛙が一匹棲んでいました。
「これは珍しい。あまり騒ぎたてて、奴さんが逃げ出さないようにしなくちゃ。」
 将監は家の者に言い付けて、その刀掛のあたりにはあまり近寄らないことに決めました。そして時折笛を吹いて聴かせると、その度に刀掛からもいい声が流れ出ました。音合せの度がだんだん重なってゆくうちに、雨蛙は節廻しもひどく上手になって、将監が吹くどんな曲にも鳴きつれることが出来るようになったと言います。
 将監が笛を愛するのと同じように、雨蛙をも愛して、それに音曲を仕込んだ心を、私はなつかしまずにはいられません.

    二

 京都大学のK博士が、知恩院の境内に住んでいた頃、ある日の夕方山内をぶらぶら歩いていると、薄暗い木蔭で胡散そうな一人の男が、何か捜し物でもしているらしく、そこらに生え繁った小笹の中をうそうそかき分けているのが眼につきました。その男は鰻釣が腰に下げているような魚籠を手に持っていました。博士は近寄って訊きました。
「何を捜してるんだね。」
「すっぽん捜してますのや。」その男は博士の顔を見上げるでもなく、そこらの石燈籠に話しかけるような調子で言いました。
「ほう、すっぽんをね。」
 博士はすっぽんの吸物はあまり嫌いでもなかったが、そのすっぽんがどんなところに棲んでいるかということはこれまでついぞ詮議したことがありませんでした。で、もしかこの男がすっぽんはそこらの木の枝に巣くっているものだと言ったら、すぐそれを信じたに相違なかったのでした。
 見ているうちに、件の男は小笹の蔭から一匹の怪物をつまみ出して、手早くそれを魚籠のなかへ投げ込みました。怪物は背には学者のように色の褪めた背広を着て、胸には実業家のようにだくだくのワイシャツを着ていました。それを見ると博士は言いました。
「おい、今のは蟇蛙じゃないか。」
「いいえ、すっぽんどっせ、あんたはん。」
 男は初めて振返って博士の顔を見ました。
「なに、蟇蛙だよ。出鱈目を言っては困るじゃないか。」
 博士はからかわれでもしているように、むっとして言いました。
「そりゃ、あんたはんのお言いやす通り蟇蛙かもしれまへんけどな……」件の男はむくれ気味の博士の顔色を、半ば気味悪そうに、半ば冷かしに見返しながら言いました。「これが、あんた、大阪へ行くと、いつの間にやらすっぽんになっとりますのやで。」
「そうか、大阪へ着くと、これがすっぽんになるか。」
 博士は青白いハムレットの口から、「博士よ、この世のなかにはお手前の哲学より以上のものがござるぞ。」と言い聞かされでもしたように、それを聞くと、急に今まで解せなかったいろんな事が解ったような気がしたそうです。

    三

 彼岸の十九日に、大阪天王寺の本坊で猫供養というものが行われました。三味線稼業の人達から出来ている日本声曲会の主催で、三味線が渡来してこの方、四百年の間にこの楽器のために皮を貢献した猫を弔おうという企でした。
 お花の師匠などは、自分の生業のために毎日いろんな植物を犠牲にしていますが、花盛りのこの頃、一つ花供養といったようなものを行ってみたらどうでしょう。お針の師匠が針供養をやっているのをみれば、花供養をしてもよかろうと思います。いつでしたか、友人の西川一草亭氏にこの事を話しましたら、氏は
「私は花を犠牲にばかりはしていません。私の技術で花を活かせているとも思います。然し花供養は面白いと思いますから、一度やってみましょう。」
 と言っていました。私は友人の自信のある言葉を喜ばずにはいられませんでした。



底本:「日本の名随筆17 春」作品社
   1984(昭和59)年3月25日第1刷発行
   1997(平成9)年2月20日第20刷発行
底本の親本:「太陽は草の香がする」アルス
   1926(大正15)年9月発行
入力:門田裕志
校正:大野 晋
2004年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング