硯と殿様
薄田泣菫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鶴笑《くわくせう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)犬養|木堂《もくだう》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
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 犬養|木堂《もくだう》の硯の話は、あの人の外交談や政治談よりはずつと有益だ。その硯については面白い話がある。徳川の末期に鶴笑《くわくせう》道人といふ印刻家があつた。硯の善《よ》いのを沢山持ち合せてゐたが、その一つに蓋に大雅堂《たいがだう》の筆で「天然研」と書いたのがあつた。阿波の殿様がそれを見て、自分の秘蔵の研《すゞり》七枚までも出すから、取り替ては呉れまいかとの談話《はなし》があつたが、鶴笑はなか/\諾《うん》とは言はなかつた。
 呉れぬ物が猶《な》ほ欲しくなるのは、殿様や子供の持つて生れた性分で、阿波の殿様は、望みとあらば何でも呉れてやらうから、達《たつ》て「天然研」を譲つて貰ひたいと執念《しふね》く持ちかけて来た。鶴笑は一寸顔を顰《しか》めた。
「ぢや仕方が無い、阿波の国半分だけ戴く事にしませう。」
と切り出した。鶴笑の積りではそれでも大分見切つた上の申出《まをしで》らしかつた。何故といつて阿波の国は半分|割《さ》いた処で、別段|差支《さしつかへ》もなかつたが、硯だけは半分に割つては何《ど》うする事も出来なかつた。あの内閣や政党を毀《こは》す事の大好きな木堂ですら「鋒《ほう》」とやらを見るためには、硝酸銀で硯を焼かなければならぬ、そんな勿体ない事が出来るものぢやないといつてゐる位だから。
 だが勘定高い殿様はそれを聞くと、
「仕方がない、この硯と鳴門の瀬戸は俺《わし》の力にも及ばぬものと見えるて。」
と、溜息を吐《つ》いてあきらめた。殿様がこの場合鳴門の瀬戸を思ひ出したのは賢い方法で、人間《ひと》の力で自由にならないものは沢山《どつさり》あるのだから、その中からどんな物を引合ひに出さうと自分の勝手である。かうして絶念《あきらめ》がつけばそんな廉価な事は無い筈だ。



底本:「日本の名随筆 別巻9 骨董」作品社
   1991(平成3)年11月25日第1刷発行
   1999(平成11)年8月25日第6刷発行
底本の親本:「完本 茶話 上巻」冨山房
   1983(昭和58)年11月発行
※底本の親本で「大雅堂《たいがだう》」に付けられた編注「〔池《いけの》大雅〕」は、削除しました。
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2005年5月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
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