して狡い考へをするのが少くない。唯骨董品ばかりでは無い。一人娘に華族の次男を聟養子《むこやうし》にするなぞもそれだが、多くの場合に骨董に贋物が多いやうに、聟養子にやくざ者が多いのはよくしたものだ。
京都でさる知名の男が、自分の書斎を新築して立派に出来上つたが、さてその書斎の出来栄に調和するだけの額や軸物の持合せが少しも無い。買ひ集めるとなると、大枚の金が要る事だし、寧《いつ》そ贋物《がんぶつ》で辛抱したら、格安に出来上るだらうと、懸額《かけがく》から、軸物、屏風、床《とこ》の置物まで悉皆《すつかり》贋物《がんぶつ》で取揃へて、書斎の名まで贋物堂《がんぶつだう》と名づけて納まつてゐた。
面白いのは、そこの主人が軸物よりも屏風よりも、もつと甚《ひど》い贋物《がんぶつ》である事だ。――京都の画家《ゑかき》が贋物《いかもの》を拵《こさ》へる事が巧《うま》いやうに、京都の女は贋物《いかもの》を産む事が上手だ。孰《いづ》れにしても立派な腕前である。
底本:「日本の名随筆 別巻9 骨董」作品社
1991(平成3)年11月25日第1刷発行
1999(平成11)年8月25日第6刷発
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