薄田泣菫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鉱気《かなけ》くさい
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 大阪に大国柏斎といふ釜師の老人が居る。若い彫塑家大国貞蔵氏の父で、釜師としての伎倆は、まづ当代独歩といつて差支へあるまい。伎倆のすぐれてゐる割合に、その名前があまり世間に聞えてゐないのを惜しがつた知合の誰彼が、
『大阪にくすぶつてゐたのではしようがあるまい。いつそ思ひきつて東京へ出てみたらどうだらう。名前を売るには便宜が多からうと思ふが……』
 といつて、勧めたことがあつた。すると、柏斎は鉱気《かなけ》くさい手のひらで一度ゆつくりと顔を撫でおろした。
『それは私も知るには知つてゐる。だが、長いこと住んでみると、大阪の土地にもまたいいところがあつてね……』
 といつて、名前を売ることなどはすつかり忘れてしまつて、馴染の深い土地に今でも安住してゐる。
 その柏斎のつくつたものに、蘆屋釜のすぐれたのが一つあつた。その味がむかしの名作にも劣らないのを見てとつた茶人のなにがしが、それと同じ手の釜を二つばかり註文したことがあつた。
『お値段《ねだん》のところはどうでせう、やはり前のと同じやうに……』
 茶人は釜の価をきめておきたかつた。
『欠けたる摺鉢にても、時の間《ま》に合ふを茶道の本意とす。』
 と、幾百年か前に言ひ遺した利休は実際えらかつた。摺鉢の欠けたのでも事は足りる茶の湯だつたから、道具はなるべく価の安い方がよかつた。
『いや、さうは往きません。』柏斎の返事は意外だつた。『前のと異《ちが》つてゐて、味があれに劣らないものでしたら、同じ値段でも出来ませうが、前のと同じ手のものを御註文でしたら値段は却つて前のよりかお高くつきませうて。』
『それはまた何故《なぜ》です。』
 客は腑に落ちなささうに訊いた。
 柏斎の返事ははつきりしてゐた。
『私は同じものをつくるのを好みませんから。』

 アメリカの大北鉄道の社長ルイス・ヒル氏が、あるとき Glacier Park を散歩してゐると、薄暗い木蔭で年とつた一人の印度人が、有合せの木片で鳶色の熊をせつせと刻んでゐるのを見つけた。ヒル氏はその前に立ちとまつて、老人の仕事をぢつと見まもつてゐた。すべての素人は芸術家の仕事場をのぞきたがるもので、彼等はそこで手品の種を見つけることが出来ると信じてゐるのだ。この印度人も鉄道会社の
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