りとも、この縄の切れて二人離れ離れにおらんよりはとは、その時苦しきわが胸の奥なる心遣《こころや》りなりき。囓《か》まるるとも螫《さ》さるるとも、口縄の朽ち果つるまでかくてあらんと思い定めたるに、あら悲し。薔薇の花の紅《くれない》なるが、めらめらと燃え出《いだ》して、繋《つな》げる蛇を焼かんとす。しばらくして君とわれの間にあまれる一尋《ひとひろ》余りは、真中《まなか》より青き烟を吐いて金の鱗の色変り行くと思えば、あやしき臭《にお》いを立ててふすと切れたり。身も魂もこれ限り消えて失《う》せよと念ずる耳元に、何者かからからと笑う声して夢は醒《さ》めたり。醒めたるあとにもなお耳を襲う声はありて、今聞ける君が笑も、宵《よべ》の名残かと骨を撼《ゆる》がす」と落ち付かぬ眼を長き睫《まつげ》の裏に隠してランスロットの気色《けしき》を窺《うかが》う。七十五度の闘技に、馬の脊《せ》を滑《すべ》るは無論、鐙《あぶみ》さえはずせる事なき勇士も、この夢を奇《く》しとのみは思わず。快からぬ眉根は自《おのずか》ら逼《せま》りて、結べる口の奥には歯さえ喰い締《し》ばるならん。
「さらば行こう。後《おく》れ馳《ば》せに北の方《かた》へ行こう」と拱《こまぬ》いたる手を振りほどいて、六尺二寸の躯《からだ》をゆらりと起す。
「行くか?」とはギニヴィアの半ば疑える言葉である。疑える中には、今更ながら別れの惜まるる心地さえほのめいている。
「行く」といい放って、つかつかと戸口にかかる幕を半ば掲げたが、やがてするりと踵《くびす》を回《めぐ》らして、女の前に、白き手を執りて、発熱かと怪しまるるほどのあつき唇を、冷やかに柔らかき甲の上につけた。暁の露しげき百合《ゆり》の花弁《はなびら》をひたふるに吸える心地である。ランスロットは後《あと》をも見ずして石階を馳け降りる。
やがて三たび馬の嘶《いなな》く音《ね》がして中庭の石の上に堅き蹄が鳴るとき、ギニヴィアは高殿《たかどの》を下りて、騎士の出づべき門の真上なる窓に倚《よ》りて、かの人の出《いづ》るを遅しと待つ。黒き馬の鼻面《はなづら》が下に見ゆるとき、身を半ば投げだして、行く人のために白き絹の尺ばかりなるを振る。頭に戴ける金冠の、美しき髪を滑りてか、からりと馬の鼻を掠《かす》めて砕くるばかりに石の上に落つる。
槍《やり》の穂先に冠をかけて、窓近く差し出したる時、ラ
前へ
次へ
全26ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング