》る豊頬《ほうきょう》の色は、湧《わ》く血潮の疾《と》く流るるか、あざやかなる絹のたすけか。ただ隠しかねたる鬢《びん》の毛の肩に乱れて、頭には白き薔薇を輪に貫ぬきて三輪|挿《さ》したり。
白き香りの鼻を撲《う》って、絹の影なる花の数さえ見分けたる時、ランスロットの胸には忽ちギニヴィアの夢の話が湧き帰る。何故《なにゆえ》とは知らず、悉《ことごと》く身は痿《な》えて、手に持つ燭を取り落せるかと驚ろきて我に帰る。乙女はわが前に立てる人の心を読む由もあらず。
「紅《くれない》に人のまことはあれ。恥ずかしの片袖を、乞《こ》われぬに参らする。兜《かぶと》に捲《ま》いて勝負せよとの願なり」とかの袖を押し遣る如く前に出《いだ》す。男は容易に答えぬ。
「女の贈り物受けぬ君は騎士か」とエレーンは訴うる如くに下よりランスロットの顔を覗《のぞ》く。覗かれたる人は薄き唇を一文字に結んで、燃ゆる片袖を、右の手に半ば受けたるまま、当惑の眉を思案に刻む。ややありていう。「戦《たたかい》に臨む事は大小六十余度、闘技の場に登って槍を交えたる事はその数を知らず。いまだ佳人の贈り物を、身に帯びたる試《ため》しなし。情《なさけ》あるあるじの子の、情深き賜物を辞《いな》むは礼なけれど……」
「礼ともいえ、礼なしともいいてやみね。礼のために、夜《よ》を冒して参りたるにはあらず。思の籠《こも》るこの片袖を天が下の勇士に贈らんために参りたり。切に受けさせ給え」とここまで踏み込みたる上は、かよわき乙女の、かえって一徹に動かすべくもあらず。ランスロットは惑《まど》う。
カメロットに集まる騎士は、弱きと強きを通じてわが盾の上に描かれたる紋章を知らざるはあらず。またわが腕に、わが兜に、美しき人の贈り物を見たる事なし。あすの試合に後るるは、始めより出づるはずならぬを、半途より思い返しての仕業《しわざ》故である。闘技の埒《らち》に馬乗り入れてランスロットよ、後れたるランスロットよ、と謳《うた》わるるだけならばそれまでの浮名である。去れど後れたるは病のため、後れながらも参りたるはまことの病にあらざる証拠《あかし》よといわば何と答えん。今|幸《さいわい》に知らざる人の盾を借りて、知らざる人の袖を纏《まと》い、二十三十の騎士を斃《たお》すまで深くわが面《おもて》を包まば、ランスロットと名乗りをあげて人驚かす夕暮に、――誰《たれ》
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