熊と獅子を取り巻いて彫《ほ》ってある。「ここにあるのは Acorns でこれは Ambrose の事です。こちらにあるのが Rose で Robert を代表するのです。下の方に忍冬《にんどう》が描《か》いてありましょう。忍冬は Honeysuckle だから Henry に当るのです。左りの上に塊《かたま》っているのが Geranium でこれは G……」と云ったぎり黙っている。見ると珊瑚《さんご》のような唇《くちびる》が電気でも懸《か》けたかと思われるまでにぶるぶると顫《ふる》えている。蝮《まむし》が鼠《ねずみ》に向ったときの舌の先のごとくだ。しばらくすると女はこの紋章の下に書きつけてある題辞を朗《ほが》らかに誦《じゅ》した。
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Yow that the beasts do wel behold and se,
May deme with ease wherefore here made they be
Withe borders wherein ……………………………………
4 brothers' names who list to serche the grovnd.
[#ここで字下げ終わり]
女はこの句を生れてから今日《きょう》まで毎日日課として暗誦《あんしょう》したように一種の口調をもって誦《じゅ》し了《おわ》った。実を云うと壁にある字ははなはだ見悪《みにく》い。余のごときものは首を捻《ひね》っても一字も読めそうにない。余はますますこの女を怪しく思う。
気味が悪くなったから通り過ぎて先へ抜ける。銃眼《じゅうがん》のある角を出ると滅茶苦茶《めちゃくちゃ》に書き綴《つづ》られた、模様だか文字だか分らない中に、正しき画《かく》で、小《ちいさ》く「ジェーン」と書いてある。余は覚えずその前に立留まった。英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。またその薄命と無残の最後に同情の涙を濺《そそ》がぬ者はあるまい。ジェーンは義父《ぎふ》と所天《おっと》の野心のために十八年の春秋《しゅんじゅう》を罪なくして惜気《おしげ》もなく刑場に売った。蹂《ふ》み躙《にじ》られたる薔薇《ばら》の蕊《しべ》より消え難き香《か》の遠く立ちて、今に至るまで史を繙《ひもと》く者をゆかしがらせる。希臘語《ギリシャご》を解しプレートーを読んで一代の碩学
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