4−94]査した。しかし別に見るものも何にもない。まことに御恥しい部屋だ。窓の正面に箪笥《たんす》がある。箪笥というのはもったいない、ペンキ塗の箱だね。上の引出に股引とカラとカフが這入《はい》っていて、下には燕尾服《えんびふく》が這入っている。あの燕尾服は安かったがまだ一度も着た事がない。つまらないものを作ったものだなと考えた。箱の上に尺四方ばかりの姿見があってその左りに「カルルス」泉の瓶《びん》が立《たっ》ている。その横から茶色のきたない皮の手袋が半分見える。箱の左側の下に靴が二足、赤と黒だ、並んでいる。毎日|穿《は》くのは戸の前に下女が磨《みが》いておいて行く。そのほかに礼服用の光る靴が戸棚《とだな》にしまってある、靴ばかりは中々大臣だなと少々得意な感じがする。もしこの家を引越すとするとこの四足の靴をどうして持って行こうかと思い出した。一足は穿《は》く、二足は革鞄《かばん》につまるだろう、しかし余る一足は手にさげる訳には行かんな、裸で馬車の中へ投《ほう》り込むか、しかし引越す前には一足はたしかに破れるだろう。靴はどうでもいいが大事の書物がずいぶん厄介だ。これは大変な荷物だなと思って
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