《もんちゃく》一件である。昨夜彼らが新宅から帰って家へ這入《はい》る途端《とたん》門口に待ち設けていた差配人は、亭主が戸をしめる余地のないほど早く彼らに続いて飛び込んで、なぜ断りなしにしかも深夜に引越をするそれでも君は紳士かと云うと、我輩が我輩の荷物をわきへ運ぶに誰に断わる必要がある。また何時に荷を出そうとこっちの勝手じゃないかと亭主が抗弁する。それからだんだん議論に花が咲いて壮語《そうご》四隣を驚かすと云う騒ぎであったそうな。元来この家は神さんの名前でかりている。ところが七年前に少々家賃を滞《とどこ》おらしたのが今日まで祟《たた》っていて出る事ができん。しかも彼の財産は早晩家賃のかたに取られるという始末だ。しかし憐《あわ》れなる姉妹は別段取押えられて困るような物も持っていない。差配もそれには目をつけておらん。ただこの老差配の目ざしているのは亭主その人の家財にある。亭主も二十世紀の人間だからその辺に抜かりはない。代言人の所へ行ってちゃんと相談している。日没後日出前なれば彼の家具を運び出しても差配は指を啣《くわ》えて見物しておらねばならぬと云う事を承知している。それだから朝の三時頃から大
前へ
次へ
全43ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング