ばかりなら不思議はないが、その字に foot note が付いている。これは英国古代の字なりとあった。「ノート」を自分の手紙へつけるのも面白いが、そのノートの文句がなおさら面白い。この御婆さんと船へ合乗をした時に、何か文章を書け、直してやるというから、日記の一節を出してよろしくおたのもうす事にした。すると大変感心したといって二三所一二字添削して返した。見ると直さなくってもけっして差支《さしつかえ》のない所を直している。そしてとんでもない間違った事が例のノート的で書いてある。この御婆さんはけっして下等な人でない。相応な身分のある中流の人である。かくのごとき人間に邂逅《かいこう》する英国だから、我下宿の妻君が生意気な事を云うのも別段相手にする必要はないが、同じ英国へ来たくらいなら今少し学問のある話せる人の家におって、汚ない狭いは苦にならないから、どうか朝夕交際がして見たい。こう云う望があるから、へー行きましょうとは答えなかったが、自分の望み通りの人で下宿人を置く処があるかそれがすこぶる疑わしい。広い世界にはあるだろう。けれどもそれに逢着《ほうちゃく》するのは難中の難事である。我輩の先生の処
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