方へ廻せば我輩といえども最少《もうすこ》しは楽な生活ができるのさ。それは国にいる時分の体面を保つ事は覚束《おぼつか》ないが(国にいれば高等官一等から五つ下へ勘定《かんじょう》すれば直ぐ僕の番へ巡《ま》わってくるのだからね。もっとも下から勘定すれば四つで来てしまうんだから日本でもあまり威張れないが)とにかくこれよりもさっぱりした家へ這入《はい》れる。然るにあらゆる節倹ををしてかようなわびしい住居《すまい》をしているのはね、一つは自分が日本におった時の自分ではない単に学生であると云う感じが強いのと、二つ目にはせっかく西洋へ来たものだから成る事なら一冊でも余計専門上の書物を買って帰りたい慾があるからさ。そこで家を持って下婢《かひ》共を召し使った事は忘れて、ただ十年前大学の寄宿舎で雪駄《せった》のカカトのような「ビステキ」を食った昔しを考えてはそれよりも少しは結構? まず結構だと思っているのさ。人は「カムバーウェル」のような貧乏町にくすぼってると云って笑うかも知れないがそんな事に頓着《とんじゃく》する必要はない。かような陋巷《ろうこう》におったって引張りと近づきになった事もなし夜鷹《よたか》と
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