ね、困るな。仕方がないから今日起きてから今手紙をかいているまでの出来事を「ほととぎす」で募集する日記体でかいて御目にかけよう。出来事だって風来山人の生活だから面白おかしい事はない、すこぶる平凡な物さ。「オキスフォード」で「アン」を見失ったとか、「チェヤリングクロス」で決闘を見たとか云うのだと張合があるが、いかにも憫然《びんぜん》な生活だからくだらない。しかし僕が倫敦《ロンドン》に来てどんな事をやっているかがちょっと分る。僕を知っている君らにはそこに少々興味があるだろう。
 この前の金曜が「グード・フライデー」で「イースター」の御祭の初日だ。町の店はみんなやすんで買物などはいっさい禁制だ。明る土曜はまず平常の通りで、次が「イースター・サンデー」また買物を禁制される。翌日になってもう大丈夫と思うと、今度は「イースター・モンデー」だというのでまた店をとじる。火曜になってようやくもとに復する例である。内の夫婦は御祭中|田舎《いなか》の妻君の里へ旅行した。田中君は「シェクスピヤ」の旧跡を探るというので「ストラトフォドオンアヴォン」と云う長い名の所へ行かれた。跡《あと》は妻君の妹と下女のペンと吾輩と三人である。
 朝目がさめると「シャッター」の隙間《すきま》から朝日がさし込んで眩《まばゆ》いくらいである。これは寝過したかと思って枕の下から例のニッケルの時計を引きずり出して見るとまだ七時二十分だ。まだ第一の銅鑼《どら》の鳴る時刻でない。起きたって仕方がないが別にねむくもない。そこでぐるりと壁の方から寝返りをして窓の方を見てやった。窓の両側から申訳のために金巾《かなきん》だか麻だか得体《えたい》の分らない窓掛が左右に開かれている。その後に「シャッター」が下りていて、その一枚一枚のすき間から御天道様《おてんとうさま》が御光来である。ハハーいよいよ春めいて来てありがたい、こんな天気は倫敦じゃ拝めなかろうと思っていたが、やはり人間の住んでる所だけあって日の当る事もあるんだなとちょっと悟りを開いた。それから天井《てんじょう》を見た。不相変《あいかわらず》ひびが入っていて不景気だ。上で何かごとごという音が聞こえる。下女が四階の室で靴でもはいているんだろう。部屋はますますあかるくなる。銅鑼はまだ鳴りそうな景色がない。今度は天井から眼をおろしてぐるぐる部屋中を※[#「てへん+僉」、第3水準1−8
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