こう》の主義なのである。しかるに国へ帰れば楽ができるからそれを楽しみに辛防《しんぼう》しようと云うのははかない考だ。国へ帰れば楽をさせると受合ったものは誰もない。自分がきめているばかりだ。自分がきめてもいいから楽ができなかった時にすぐ機鋒《きほう》を転じて過去の妄想《もうそう》を忘却し得ればいいが、今のように未来に御願い申しているようではとうていその未来が満足せられずに過去と変じた時にこの過去をさらりと忘れる事はできまい。のみならず報酬を目的に働らくのは野暮《やぼ》の至りだ。死ねば天堂へ行かれる、未来は雨蛙《あまがえる》といっしょに蓮の葉に往生ができるから、この世で善行をしようという下卑た考と一般の論法で、それよりもなお一層|陋劣《ろうれつ》な考だ。国を立つ前五六年の間にはこんな下等な考は起さなかった。ただ現在に活動しただ現在に義務をつくし現在に悲喜憂苦を感ずるのみで、取越苦労や世迷言や愚痴《ぐち》は口の先ばかりでない腹の中にもたくさんなかった。それで少々得意になったので外国へ行っても金が少なくっても一箪《いったん》の食|一瓢《いっぴょう》の飲然と呑気《のんき》に洒落《しゃらく》にまた沈着に暮されると自負しつつあったのだ。自惚《うぬぼれ》自惚《うぬぼれ》! こんな事では道を去る事三千里。まず明日からは心を入れ換えて勉強専門の事。こう決心して寝てしまう。
 かかるありさまでこの薄暗い汚苦しい有名なカンバーウェルと云う貧乏町の隣町に昨年の末から今日までおったのである。おったのみならずこの先も留学期限のきれるまではここにおったかも知れぬのである。しかるにここに或る出来事が起っていくらおりたくっても退去せねばならぬ事となった、というと何か小説的だが、その訳を聞くとすこぶる平凡さ。世の中の出来事の大半は皆平凡な物だから仕方がない。この家はもとからの下宿ではない。去年までは女学校であったので、ここの神《かみ》さんと妹が経験もなく財産もなく将来の目的もしかと立たないのに自営の道を講ずるためにこの上品のような下等のような妙な商買《しょうばい》を始めたのである。彼らは固《もと》より不正な人間ではない。正道を踏んで働けるだけ働いたのだ。しかし耶蘇教《ヤソきょう》の神様も存外|半間《はんま》なもので、こういう時にちょっと人を助けてやる事を知らない。そこでもって家賃が滞《とどこお》る――倫
前へ 次へ
全22ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング