んてい》から之《これ》を改めなければならないが、職業を択んで日常欠く可《べ》からざる必要な仕事をすれば、強《し》いて変人を改めずにやって行くことが出来る。此方《こちら》が変人でも是非やって貰わなければならない仕事さえして居れば、自然と人が頭を下げて頼みに来るに違いない。そうすれば飯の喰外《くいはぐ》れはないから安心だと云うのが、建築科を択んだ一つの理由。それと元来僕は美術的なことが好であるから、実用と共に建築を美術的にして見ようと思ったのが、もう一つの理由であった。僕は落第したのだから水野、正木などの連中は一つ先へ進んで行って了《しま》ったのであるが、僕の残った級《クラス》には松本亦太郎なども居って、それに文学士で死んだ米山と云う男が居った。之は非常な秀才で哲学科に居たが、大分懇意にして居たので僕の建築科に居るのを見て切《しき》りに忠告して呉《く》れた。僕は其頃ピラミッドでも建てる様な心算《つもり》で居たのであるが、米山は中々盛んなことを云うて、君は建築をやると云うが、今の日本の有様では君の思って居る様な美術的の建築をして後代に遺《のこ》すなどと云うことは迚《とて》も不可能な話だ、それよりも文学をやれ、文学ならば勉強次第で幾百年幾千年の後に伝える可《べ》き大作も出来るじゃないか。と米山はこう云うのである。僕の建築科を択んだのは自分一身の利害から打算したのであるが、米山の論は天下を標準として居るのだ。こう云われて見ると成程《なるほど》そうだと思われるので、又決心を為直《しなお》して、僕は文学をやることに定めたのであるが、国文や漢文なら別に研究する必要もない様な気がしたから、其処《そこ》で英文学を専攻することにした。其後は変化もなく今日迄やって来て居るが、やって見れば余り面白くもないので、此頃は又、商売替をしたいと思うけれど、今じゃもう仕方がない。初めは随分突飛なことを考えて居たもので、英文学を研究して英文で大文学を書こうなどと考えて居たんだったが‥‥‥。
底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房
1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
初出:「中学文芸」
1906(明治39)年9月15日
※底本は、本作品を「談話」の項におさめている。
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年5月10日作成
2003年5月25日修正
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