す春の人
[#ここで字下げ終わり]
という句を作ったこともあったっけ。――その後早稲田の雇われ教師もやめてしまった。むろん僕が大学学生中の話だぜ。その間僕は下宿をしたり、故家《うち》にいたり、あちらこちらに宿をかえていた。僕が大学を出たのは明治二十六年だ。元来大学の文科出の連中にも時期によってだいぶ変わっている。高山が出た時代からぐっと風潮が変わってきた。上田敏君もこの期に属している。この期にはなかなかやり手がたくさんいる。僕らはそのまえのいわゆる沈滞時代に属するのだ。
 学校を出てから、伊予《いよ》の松山の中学の教師にしばらく行った。あの『坊っちゃん』にあるぞなもし[#「ぞなもし」に傍点]の訛《なまり》を使う中学の生徒は、ここの連中だ。僕は『坊っちゃん』みたようなことはやりはしなかったよ。しかしあの中にかいた温泉なんかはあったし、赤手拭《あかてぬぐい》をさげてあるいたことも事実だ。もう一つ困るのは、松山中学にあの小説の中の山嵐《やまあらし》という綽名《あだな》の教師と、寸分《すんぶん》も違《たが》わぬのがいるというので、漱石はあの男のことをかいたんだといわれてるのだ。決してそんなつも
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