僕の昔
夏目漱石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)根津《ねず》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)堀部|武庸《たけつね》

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 根津《ねず》の大観音《だいかんのん》に近く、金田夫人の家や二弦琴《にげんきん》の師匠や車宿や、ないし落雲館《らくうんかん》中学などと、いずれも『吾輩《わがはい》は描《ねこ》である』の編中でなじみ越しの家々の間に、名札もろくにはってない古べいの苦沙弥《くしゃみ》先生の居《きょ》は、去年の暮れおしつまって西片町《にしかたまち》へ引き越された。君、こんどの僕の家は二階があるよと丸善の手代みたように群書堆裡《ぐんしょたいり》に髭《ひげ》をひねりながら漱石子《そうせきし》が話していられると、縁側《えんがわ》でゴソゴソ音がする。見ていると三毛猫の大きなやつが障子《しょうじ》の破れからぬうと首を突き出して、ニャンとこちらを向きながらないた。
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 あの猫はね、こっちへ引きこしてきてからも、もとの千駄木の家へおりおり帰って行くのだ。この間も道であいつが小便をたれているところをうまくとっつかまえて連れて戻った。やっぱしもとの家というものは恋しいものかなあ。――何、僕の故家《いえ》かね、君、軽蔑《けいべつ》しては困るよ。僕はこれでも江戸っ子だよ。しかしだいぶ江戸っ子でも幅のきかない山の手だ、牛込の馬場下で生まれたのだ。
 父親《おやじ》は馬場下町の名主《なぬし》で小兵衛といった。別に何も商売はしていなかったのだ。何でもあの名主なんかいうものは庄屋と同じくゴタゴタして、収入などもかなりあったものとみえる。ちょうど、今、あの交番――喜久井町《きくいちょう》を降りてきた所に――の向かいに小倉屋《おぐらや》という、それ高田馬場の敵討《あだうち》の堀部|武庸《たけつね》かね、あの男が、あすこで酒を立ち飲みをしたとかいう桝《ます》を持ってる酒屋があるだろう。そこから坂のほうへ二三軒行くと古道具屋がある。そのたしか隣の裏をずっとはいると、玄関構えの朽ちつくした僕の故家《いえ》があった。もう今は無くなったかもしれぬ。僕の家は武田信玄の苗裔《いえすじ》だぜ。えらいだろう。ところが一つえらくな
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