これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭《くさ》いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換《か》えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化《ごまか》したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子《かし》や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣《や》らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄《すま》したものでお兄様《あにいさま》はお父様《とうさま》が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固《がんこ》だけれども、そんな依怙贔負《えこひいき》はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺《おぼ》れていたに違《ちが》いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清
前へ
次へ
全210ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング