い。錠《じょう》をかけてあるのか、机か何か積んで立て懸《か》けてあるのか、押《お》しても、押しても決して開かない。今度は向う合せの北側の室《へや》を試みた。開かない事はやっぱり同然である。おれが戸を開けて中に居る奴を引っ捕《つ》らまえてやろうと、焦慮《いらっ》てると、また東のはずれで鬨の声と足拍子が始まった。この野郎《やろう》申し合せて、東西相応じておれを馬鹿にする気だな、とは思ったがさてどうしていいか分らない。正直に白状してしまうが、おれは勇気のある割合に智慧《ちえ》が足りない。こんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからないけれども、決して負けるつもりはない。このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸《えど》っ子は意気地《いくじ》がないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻垂《はなった》れ小僧《こぞう》にからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本《はたもと》だ。旗本の元は清和源氏《せいわげんじ》で、多田《ただ》の満仲《まんじゅう》の後裔《こうえい》だ。こんな土百姓《どびゃくしょう》とは生まれからして違うんだ
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