い。ただ懲役《ちょうえき》に行かないで生きているばかりである。
母が病気で死ぬ二三日《にさんち》前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨《あばらぼね》を撲《う》って大いに痛かった。母が大層|怒《おこ》って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊《とま》りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知《しらせ》が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人《おとな》しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜《くや》しかったから、兄の横っ面を張って大変|叱《しか》られた。
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮《くら》していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目《だめ》だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙《みょう》なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍《いっぺん》ぐらいの割で喧嘩《けんか》をしていた。ある時|将棋《しょうぎ》をさ
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