たら山嵐は安心したらしかった。
 二時間目に白墨《はくぼく》を持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り込《こ》むような気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きな奴《やつ》ばかりである。おれは江戸《えど》っ子で華奢《きゃしゃ》に小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がっても押《お》しが利かない。喧嘩《けんか》なら相撲取《すもうとり》とでもやってみせるが、こんな大僧《おおぞう》を四十人も前へ並《なら》べて、ただ一|枚《まい》の舌をたたいて恐縮《きょうしゅく》させる手際はない。しかしこんな田舎者《いなかもの》に弱身を見せると癖《くせ》になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も烟《けむ》に捲《ま》かれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真中《まんなか》に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣《や》って、おくれんかな、もし」と云った。おくれんかな[#「おくれんかな」に傍点]、もし[#「もし
前へ 次へ
全210ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング