っ付いたり、ぶつかったりする。顔へ付いた奴《やつ》は枕で叩く訳に行かないから、手で攫《つか》んで、一生懸命に擲きつける。忌々《いまいま》しい事に、「くら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答がない。バッタは擲きつけられたまま蚊帳へつらまっている。死にもどうもしない。ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治《たいじ》た。箒《ほうき》を持って来てバッタの死骸《しがい》を掃き出した。小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼《か》っとく奴がどこの国にある。間抜《まぬけ》め。と叱《しか》ったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を椽側《えんがわ》へ抛《ほう》り出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。
おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のまま腕《うで》まくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先《まっさき》の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎《あいにく》掃き出してしまって一|匹《ぴき》も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜《はきだめ》へ棄《す》ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで馳《か》け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載《の》せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿《ばか》だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣《や》り込《こ》めた。「篦棒《べらぼう》め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕《つら》まえてなもし[#「なもし」に傍点]た何だ。菜飯《なめし》は田楽《でんがく》の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもし[#「なもし」に傍点]を使う奴だ。
「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼《たの》んだ」
「誰も入れやせんがな」
「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」
「イナゴは温《ぬく》い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」
「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」
「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」
けちな奴等《やつら》だ。自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないがいい。証拠《しょうこ》さえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがる。おれだって中学に居た時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような卑怯《ひきょう》な事はただの一度もなかった。したものはしたので、しないものはしないに極《きま》ってる。おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘を吐《つ》いて罰《ばつ》を逃《に》げるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご免蒙《めんこうむ》るなんて下劣《げれつ》な根性がどこの国に流行《はや》ると思ってるんだ。金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違《そうい》ない。全体中学校へ何しにはいってるんだ。学校へはいって、嘘を吐いて、胡魔化《ごまか》して、陰《かげ》でこせこせ生意気な悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇違《かんちが》いをしていやがる。話せない雑兵《ぞうひょう》だ。
おれはこんな腐《くさ》った了見《りょうけん》の奴等と談判するのは胸糞《むなくそ》が悪《わ》るいから、「そんなに云われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだ」と云って六人を逐《お》っ放《ぱな》してやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりも遥《はる》かに上品なつもりだ。六人は悠々《ゆうゆう》と引き揚《あ》げた。上部《うわべ》だけは教師のおれよりよっぽどえらく見える。実は落ち付いているだけなお悪るい。おれには到底《とうてい》これ
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