《なぐ》り付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有《ありがた》い仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲《すもう》でも取るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸《ねくび》をかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
 おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々《とうとう》と述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞《つま》ってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌《しゃべ》って揚足《あげあし》を取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊《とっかん》事件は吾々《われわれ》心ある職員をして、ひそかに吾《わが》校将来の前途《ぜんと》に危惧《きぐ》の念を抱《いだ》かしむるに足る珍事《ちんじ》でありまして、吾々職員たるものはこの際|奮《ふる》って自ら省りみて、全校の風紀を振粛《しんしゅく》しなければなりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮《こうけい》に中《あた》った剴切《がいせつ》なお考えで私は徹頭徹尾《てっとうてつび》賛成致します。どうかなるべく寛大《かんだい》のご処分を仰《あお》ぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列《ちんれつ》するぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。
 おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起《た》ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢《とんちんかん》な、処分は大嫌《だいきら》いです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然|悪《わ》るいです。どうしても詫《あや》まらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あま
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