かんたろう》の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
 何だか二階の楷子段《はしごだん》の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞《ふさ》がっておりますからと云いながら革鞄を抛《ほう》り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗《あせ》をかいて我慢《がまん》していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗《のぞ》いてみると涼《すず》しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘《うそ》をつきゃあがった。それから下女が膳《ぜん》を持って来た。部屋は熱《あ》つかったが、飯は下宿のよりも大分|旨《うま》かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当《あた》り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞《きこ》えた。くだらないから、すぐ寝《ね》たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々《そうぞう》しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清《きよ》の夢《ゆめ》を見た。清が越後《えちご》の笹飴《ささあめ》を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云《い》って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突《つ》き抜《ぬ》けたような天気だ。
 道中《どうちゅう》をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末《そまつ》に取り扱われると聞いていた。こんな、狭《せま》くて暗い部屋へ押《お》し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装《なり》をして、ズックの革鞄と毛繻子《けじゅす》の蝙蝠傘《こうもり》を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括《みくび》ったな。一番茶代をやって驚《おどろ》かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐《ふところ》に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰《もら》うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚《おど》ろいて眼を廻《まわ》すに極《きま》っている。どうするか見
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