らの悪るい所を見届けて現場で撲らなくっちゃ、こっちの落度になるからと、分別のありそうな事を附加《つけた》した。山嵐でもおれよりは考えがあると見える。
じゃ演説をして古賀君を大いにほめてやれ、おれがすると江戸っ子のぺらぺらになって重みがなくていけない。そうして、きまった所へ出ると、急に溜飲《りゅういん》が起って咽喉《のど》の所へ、大きな丸《たま》が上がって来て言葉が出ないから、君に譲《ゆず》るからと云ったら、妙な病気だな、じゃ君は人中じゃ口は利けないんだね、困るだろう、と聞くから、何そんなに困りゃしないと答えておいた。
そうこうするうち時間が来たから、山嵐と一所に会場へ行く。会場は花晨亭《かしんてい》といって、当地《ここ》で第一等の料理屋だそうだが、おれは一度も足を入れた事がない。もとの家老とかの屋敷《やしき》を買い入れて、そのまま開業したという話だが、なるほど見懸《みかけ》からして厳《いか》めしい構えだ。家老の屋敷が料理屋になるのは、陣羽織《じんばおり》を縫《ぬ》い直して、胴着《どうぎ》にする様なものだ。
二人が着いた頃《ころ》には、人数《にんず》ももう大概揃《たいがいそろ》って、五十|畳《じょう》の広間に二つ三つ人間の塊《かたまり》が出来ている。五十畳だけに床《とこ》は素敵に大きい。おれが山城屋で占領《せんりょう》した十五畳敷の床とは比較にならない。尺を取ってみたら二間あった。右の方に、赤い模様のある瀬戸物の瓶《かめ》を据《す》えて、その中に松《まつ》の大きな枝《えだ》が挿《さ》してある。松の枝を挿して何にする気か知らないが、何ヶ月立っても散る気遣いがないから、銭が懸らなくって、よかろう。あの瀬戸物はどこで出来るんだと博物の教師に聞いたら、あれは瀬戸物じゃありません、伊万里《いまり》ですと云った。伊万里だって瀬戸物じゃないかと、云ったら、博物はえへへへへと笑っていた。あとで聞いてみたら、瀬戸で出来る焼物だから、瀬戸と云うのだそうだ。おれは江戸っ子だから、陶器《とうき》の事を瀬戸物というのかと思っていた。床の真中に大きな懸物があって、おれの顔くらいな大きさな字が二十八字かいてある。どうも下手《へた》なものだ。あんまり不味《まず》いから、漢学の先生に、なぜあんなまずいものを麗々《れいれい》と懸けておくんですと尋《たず》ねたところ、先生はあれは海屋《かいおく》とい
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