れば兄の家がもらえると信じている。
 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州|下《くんだ》りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半《よじょうはん》の安下宿に籠《こも》って、それすらもいざとなれば直ちに引き払《はら》わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥《おく》さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥《おい》の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支《さしつか》えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴《な》れた家《うち》の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易《ほうこうが》えをして入らぬ気兼《きがね》を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻《さい》を貰えの、来て世話をするのと云う。親身《しんみ》の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買《しょうばい》をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意《ずいい》に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊《たんばく》な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場《ていしゃば》で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒《めんど》くさくって旨《うま》く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来《しょうらい》どれもこれも
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