返事はわずか五六行である。宛名《あてな》をかいて、「これを」と出す。細君は下女を呼んで渡してやる。自分は動かない。
「何の御用なんですか」
「何の用かわからない。ただ、用があるから、すぐ来てくれとかいてある」
「いらっしゃるでしょう」
「おれは行かれない。なんならお前行って見てくれ」
「私が? 私は駄目ですわ」
「なぜ」
「だって女ですもの」
「女でも行かないよりいいだろう」
「だって。あなたに来いと書いてあるんでしょう」
「おれは行かれないもの」
「どうして?」
「これから出掛けなくっちゃならん」
「雑誌の方なら、一日ぐらい御休みになってもいいでしょう」
「編輯《へんしゅう》ならいいが、今日は演説をやらなくっちゃならん」
「演説を? あなたがですか?」
「そうよ、おれがやるのさ。そんなに驚ろく事はなかろう」
「こんなに風が吹くのに、よしになさればいいのに」
「ハハハハ風が吹いてやめるような演説なら始めからやりゃしない」
「ですけれども滅多《めった》な事はなさらない方がよござんすよ」
「滅多な事とは。何がさ」
「いいえね。あんまり演説なんかなさらない方が、あなたの得《とく》だと云うんです」
「なに得な事があるものか」
「あとが困るかも知れないと申すのです」
「妙な事を云うね御前は。――演説をしちゃいけないと誰か云ったのかね」
「誰がそんな事を云うものですか。――云いやしませんが、御兄《おあにい》さんからこうやって、急用だって、御使が来ているんですから行って上げなくっては義理がわるいじゃありませんか」
「それじゃ演説をやめなくっちゃならない」
「急に差支《さしつかえ》が出来たって断わったらいいでしょう」
「今さらそんな不義理が出来るものか」
「では御兄さんの方へは不義理をなすっても、いいとおっしゃるんですか」
「いいとは云わない。しかし演説会の方は前からの約束で――それに今日の演説はただの演説ではない。人を救うための演説だよ」
「人を救うって、誰を救うのです」
「社のもので、この間の電車事件を煽動《せんどう》したと云う嫌疑《けんぎ》で引っ張られたものがある。――ところがその家族が非常な惨状に陥《おちい》って見るに忍びないから、演説会をしてその収入をそちらへ廻してやる計画なんだよ」
「そんな人の家族を救うのは結構な事に相違ないでしょうが、社会主義だなんて間違えられるとあとが困りますから……」
「間違えたって構わないさ。国家主義も社会主義もあるものか、ただ正しい道がいいのさ」
「だって、もしあなたが、その人のようになったとして御覧なさい。私はやっぱり、その人の奥さん同様な、ひどい目に逢わなけりゃならないでしょう。人を御救いなさるのも結構ですが、ちっとは私の事も考えて、やって下さらなくっちゃ、あんまりですわ」
 道也先生はしばらく沈吟《ちんぎん》していたが、やがて、机の前を立ちながら「そんな事はないよ。そんな馬鹿な事はないよ。徳川政府の時代じゃあるまいし」と云った。
 例の袴《はかま》を突っかけると支度《したく》は一分たたぬうちに出来上った。玄関へ出る。外はいまだに強く吹いている。道也先生の姿は風の中に消えた。
 清輝館《せいきかん》の演説会はこの風の中に開かれる。
 講演者は四名、聴衆は三百名足らずである。書生が多い。その中に文学士高柳周作がいる。彼はこの風の中を襟巻《えりまき》に顔を包んで咳《せき》をしながらやって来た。十銭の入場料を払って、二階に上《あが》った時は、広い会場はまばらに席をあましてむしろ寂寞《せきばく》の感があった。彼は南側のなるべく暖かそうな所に席をとった。演説はすでに始まっている。
「……文士保護は独立しがたき文士の言う事である。保護とは貴族的時代に云うべき言葉で、個人平等の世にこれを云々《うんぬん》するのは恥辱の極《きょく》である。退いて保護を受くるより進んで自己に適当なる租税を天下から払わしむべきである」と云ったと思ったら、引き込んだ。聴衆は喝采《かっさい》する。隣りに薩摩絣《さつまがすり》の羽織を着た書生がいて話している。
「今のが、黒田東陽《くろだとうよう》か」
「うん」
「妙な顔だな。もっと話せる顔かと思った」
「保護を受けたら、もう少し顔らしくなるだろう」
 高柳君は二人を見た。二人も高柳君を見た。
「おい」
「何だ」
「いやに睨《にら》めるじゃねえか」
「おっかねえ」
「こんだ誰の番だ。――見ろ見ろ出て来た」
「いやに、ひょろ長いな。この風にどうして出て来たろう」
 ひょろながい道也先生は綿服《めんぷく》のまま壇上にあらわれた。かれはこの風の中を金釘《かなくぎ》のごとく直立して来たのである。から風に吹き曝《さら》されたる彼は、からからの古瓢箪《ふるびょうたん》のごとくに見える。聴衆は一度に手をたたく。手をたたくのは必ずしも喝采の意と解すべからざる場合がある。独《ひと》り高柳君のみは粛然《しゅくぜん》として襟《えり》を正した。
「自己は過去と未来の連鎖《れんさ》である」
 道也先生の冒頭は突如として来た。聴衆はちょっと不意撃《ふいうち》を食った。こんな演説の始め方はない。
「過去を未来に送り込むものを旧派と云い、未来を過去より救うものを新派と云うのであります」
 聴衆はいよいよ惑《まど》った。三百の聴衆のうちには、道也先生をひやかす目的をもって入場しているものがある。彼らに一|寸《すん》の隙《すき》でも与えれば道也先生は壇上に嘲殺《ちょうさつ》されねばならぬ。角力《すもう》は呼吸《こきゅう》である。呼吸を計らんでひやかせばかえって自分が放《ほう》り出されるばかりである。彼らは蛇のごとく鎌首《かまくび》を持ち上げて待構えている。道也先生の眼中には道の一字がある。
「自己のうちに過去なしと云うものは、われに父母《ふぼ》なしと云うがごとく、自己のうちに未来なしと云うものは、われに子を生む能力なしというと一般である。わが立脚地はここにおいて明瞭《めいりょう》である。われは父母《ふぼ》のために存在するか、われは子のために存在するか、あるいはわれそのものを樹立せんがために存在するか、吾人《ごじん》生存の意義はこの三者の一を離るる事が出来んのである」
 聴衆は依然として、だまっている。あるいは煙《けむ》に捲《ま》かれたのかも知れない。高柳君はなるほどと聴いている。
「文芸復興は大《だい》なる意味において父母のために存在したる大時期である。十八世紀末のゴシック復活もまた大なる意味において父母のために存在したる小時期である。同時にスコット一派の浪漫派《ろうまんは》を生まんがために存在した時期である。すなわち子孫のために存在したる時期である。自己を樹立せんがために存在したる時期の好例はエリザベス朝の文学である。個人について云えばイブセンである。メレジスである。ニイチェである。ブラウニングである。耶蘇教徒《ヤソきょうと》は基督《キリスト》のために存在している。基督は古《いにし》えの人である。だから耶蘇教徒は父のために存在している。儒者《じゅしゃ》は孔子《こうし》のために生きている。孔子も昔《いにし》えの人である。だから儒者は父のために生きている。……」
「もうわかった」と叫ぶものがある。
「なかなかわかりません」と道也先生が云う。聴衆はどっと笑った。
「袷《あわせ》は単衣《ひとえもの》のために存在するですか、綿入のために存在するですか。または袷自身のために存在するですか」と云って、一応聴衆を見廻した。笑うにはあまり、奇警である。慎《つつ》しむにはあまり飄《ひょう》きんである。聴衆は迷うた。
「六《む》ずかしい問題じゃ、わたしにもわからん」と済ました顔で云ってしまう。聴衆はまた笑った。
「それはわからんでも差支《さしつかえ》ない。しかし吾々《われわれ》は何のために存在しているか? これは知らなくてはならん。明治は四十年立った。四十年は短かくはない。明治の事業はこれで一段落を告げた……」
「ノー、ノー」と云うものがある。
「どこかでノー、ノーと云う声がする。わたしはその人に賛成である。そう云う人があるだろうと思うて待っていたのである」
 聴衆はまた笑った。
「いや本当に待っていたのである」
 聴衆は三たび鬨《とき》を揚《あ》げた。
「私《わたし》は四十年の歳月を短かくはないと申した。なるほど住んで見れば長い。しかし明治以外の人から見たらやはり長いだろうか。望遠鏡の眼鏡《めがね》は一寸の直径である。しかし愛宕山《あたごやま》から見ると品川の沖がこの一寸のなかに這入《はい》ってしまう。明治の四十年を長いと云うものは明治のなかに齷齪《あくせく》しているものの云う事である。後世から見ればずっと縮まってしまう。ずっと遠くから見ると一弾指《いちだんし》の間《かん》に過ぎん。――一弾指の間に何が出来る」と道也はテーブルの上をとんと敲《たた》いた。聴衆はちょっと驚ろいた。
「政治家は一大事業をしたつもりでいる。学者も一大事業をしたつもりでいる。実業家も軍人もみんな一大事業をしたつもりでいる。したつもりでいるがそれは自分のつもりである。明治四十年の天地に首を突き込んでいるから、したつもりになるのである。――一弾指の間に何が出来る」
 今度は誰も笑わなかった。
「世の中の人は云うている。明治も四十年になる、まだ沙翁《さおう》が出ない、まだゲーテが出ない。四十年を長いと思えばこそ、そんな愚痴《ぐち》が出る。一弾指の間に何が出る」
「もうでるぞ」と叫んだものがある。
「もうでるかも知れん。しかし今までに出ておらん事は確かである。――一言にして云えば」と句を切った。満場はしんとしている。
「明治四十年の日月《じつげつ》は、明治開化の初期である。さらに語《ご》を換《か》えてこれを説明すれば今日の吾人《ごじん》は過去を有《も》たぬ開化のうちに生息している。したがって吾人は過去を伝うべきために生れたのではない。――時は昼夜《ちゅうや》を舎《す》てず流れる。過去のない時代はない。――諸君誤解してはなりません。吾人は無論過去を有している。しかしその過去は老耄《ろうもう》した過去か、幼稚な過去である。則《のっ》とるに足るべき過去は何にもない。明治の四十年は先例のない四十年である」
 聴衆のうちにそうかなあと云う顔をしている者がある。
「先例のない社会に生れたものほど自由なものはない。余は諸君がこの先例のない社会に生れたのを深く賀するものである」
「ひや、ひや」と云う声が所々《しょしょ》に起る。
「そう早合点《はやがてん》に賛成されては困る。先例のない社会に生れたものは、自から先例を作らねばならぬ。束縛のない自由を享《う》けるものは、すでに自由のために束縛されている。この自由をいかに使いこなすかは諸君の権利であると同時に大《だい》なる責任である。諸君。偉大なる理想を有せざる人の自由は堕落であります」
 言い切った道也先生は、両手を机の上に置いて満場を見廻した。雷《らい》が落ちたような気合《けあい》である。
「個人について論じてもわかる。過去を顧《かえり》みる人は半白《はんぱく》の老人である。少壮の人に顧みるべき過去はないはずである。前途に大《だい》なる希望を抱くものは過去を顧みて恋々《れんれん》たる必要がないのである。――吾人《ごじん》が今日生きている時代は少壮の時代である。過去を顧みるほどに老い込んだ時代ではない。政治に伊藤侯や山県侯を顧みる時代ではない。実業に渋沢|男《だん》や岩崎男を顧みる時代ではない。……」
「大気※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]《だいきえん》」と評したのは高柳君の隣りにいた薩摩絣《さつまがすり》である。高柳君はむっとした。
「文学に紅葉氏一葉氏を顧みる時代ではない。これらの人々は諸君の先例になるがために生きたのではない。諸君を生むために生きたのである。最前《さいぜん》の言葉を用いればこれらの人々は未来のために生きたのである。子のために存在したのである。しかして諸君は自己のために存在するのである。――
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