の中を何と思ってるだろう」
「何とも思うものかね。ただああやって暮らしているのさ」
「羨《うら》やましいな。どうかして――どうもいかんな」
「あんなものが羨しくっちゃ大変だ。そんな考だから卒業祝に同意しないんだろう。さあもう一杯景気よく飲んだ」
「あの人が羨ましいのじゃないが、ああ云う風に余裕があるような身分が羨ましい。いくら卒業したってこう奔命《ほんめい》に疲れちゃ、少しも卒業のありがた味はない」
「そうかなあ、僕なんざ嬉《うれ》しくってたまらないがなあ。我々の生命はこれからだぜ。今からそんな心細い事を云っちゃあしようがない」
「我々の生命はこれからだのに、これから先が覚束《おぼつか》ないから厭《いや》になってしまうのさ」
「なぜ? 何もそう悲観する必要はないじゃないか、大《おおい》にやるさ。僕もやる気だ、いっしょにやろう。大に西洋料理でも食って――そらビステキが来た。これでおしまいだよ。君ビステキの生焼《なまやき》は消化がいいって云うぜ。こいつはどうかな」と中野君は洋刀《ナイフ》を揮《ふる》って厚切《あつぎ》りの一片《いっぺん》を中央《まんなか》から切断した。
「なあるほど、赤い。
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