ぽっけっとへ突き込んだまま肘《ひじ》を張っている。一人は細い杖《つえ》に言訳《いいわけ》ほどに身をもたせて、護謨《ゴム》びき靴の右の爪先《つまさき》を、竪《たて》に地に突いて、左足一本で細長いからだの中心を支《ささ》えている。
「まるで給仕人《ウェーター》だ」と一本足が云う。
 高柳君は自分の事を云うのかと思った。すると色胴衣が
「本当にさ。園遊会に燕尾服《えんびふく》を着てくるなんて――洋行しないだってそのくらいな事はわかりそうなものだ」と相鎚《あいづち》を打っている。向うを見るとなるほど燕尾服がいる。しかも二人かたまって、何か話をしている。同類相集まると云う訳だろう。高柳君はようやくあれを笑ってるのだなと気がついた。しかしなぜ燕尾服が園遊会に適しないかはとうてい想像がつかなかった。
 芝生の行き当りに葭簀掛《よしずが》けの踊舞台《おどりぶたい》があって、何かしきりにやっている。正面は紅白の幕で庇《ひさし》をかこって、奥には赤い毛氈《もうせん》を敷いた長い台がある。その上に三味線を抱えた女が三人、抱えないのが二人並んでいる。弾《ひ》くものと唄《うた》うものと分業にしたのである。舞台の真中に金紙《きんがみ》の烏帽子《えぼし》を被《かぶ》って、真白に顔を塗りたてた女が、棹《さお》のようなものを持ったり、落したり、舞扇《まいおうぎ》を開いたり、つぼめたり、長い赤い袖《そで》を翳《かざ》したり、翳さなかったり、何でもしきりに身振《しな》をしている。半紙に墨黒々と朝妻船《あさづまぶね》とかいて貼《は》り出してあるから、おおかた朝妻船と云うものだろうと高柳君はしばらく後《うし》ろの方から小さくなって眺《なが》めていた。
 舞台を左へ切れると、御影《みかげ》の橋がある。橋の向《むこう》の築山《つきやま》の傍手《わきて》には松が沢山ある。松の間から暖簾《のれん》のようなものがちらちら見える。中で女がききと笑っている。橋を渡りかけた高柳君はまた引き返した。楽隊が一度に満庭の空気を動かして起る。
 そろそろと天幕《テント》の所まで帰って来る。今度は中を覗《のぞ》くのをやめにした。中は大勢でがやがやしている。入口へ回って見ると人で埋《うずま》って皿の音がしきりにする。若夫婦はどこにいるか見えぬ。
 しばらく様子を窺《うかが》っていると突然万歳と云う声がした。楽隊の音は消されてしまう。石橋の向うで万歳と云う返事がある。これは迷子《まいご》の万歳である。高柳君はのそりと疳違《かんちがい》をした客のように天幕のうちに這入《はい》った。
 皿だけ高く差し上げて人と人の間を抜けて来たものがある。
「さあ、御上《おあが》んなさい。まだあるんだが人が込んでて容易に手が届かない」と云う。高柳君は自分にくれるにしては目の見当が少し違うと思ったら、後《うし》ろの方で「ありがとう」と云う涼しい声がした。十七八の桃色縮緬《ももいろちりめん》の紋付をきた令嬢が皿をもらったまま立っている。
 傍にいた紳士が、天幕の隅《すみ》から一脚の椅子《いす》を持って来て、
「さあこの上へ御乗せなさい」と令嬢の前に据《す》えた。高柳君は一間ばかり左へ進む。天幕の柱に倚《よ》りかかって洋服と和服が煙草《たばこ》をふかしている。
「葉巻はやめたのかい」
「うん、頭にわるいそうだから――しかしあれを呑《の》みつけると、何だね、紙巻はとうてい呑めないね。どんな好《い》い奴《やつ》でも駄目だ」
「そりゃ、価段《ねだん》だけだから――一本三十銭と三銭とは比較にならないからな」
「君は何を呑むのだい」
「これを一つやって見たまえ」と洋服が鰐皮《わにがわ》の煙草入から太い紙巻を出す。
「なるほどエジプシアンか。これは百本五六円するだろう」
「安い割にはうまく呑めるよ」
「そうか――僕も紙巻でも始めようか。これなら日に二十本ずつにしても二十円ぐらいであがるからね」
 二十円は高柳君の全収入である。この紳士は高柳君の全収入を煙《けむ》にするつもりである。
 高柳君はまた左へ四尺ほど進んだ。二三人話をしている。
「この間ね、野添《のぞえ》が例の人造肥料会社を起すので……」と頭の禿《は》げた鼻の低い金歯を入れた男が云う。
「うん。ありゃ当ったね。旨《うま》くやったよ」と真四角な色の黒い、煙草入の金具のような顔が云う。
「君も賛成者のうちに名が見えたじゃないか」と胡麻塩頭《ごましおあたま》の最前《さいぜん》中野君を中途で強奪《ごうだつ》したおやじが云う。
「それさ」と今度は禿げの番である。「野添が、どうです少し持ってくれませんかと云うから、さようさ、わたしは今回はまあよしましょうと断わったのさ。ところが、まあ、そう云わずと、せめて五百株でも、実はもう貴所《あなた》の名前にしてあるんだからと云うのさ、面倒だからいい
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