剥《む》いて、火箸《ひばし》の先で突《つ》つき始めた。炭火なら崩《くず》しても積む事が出来る。突《つっ》ついた炭団は壊《こわ》れたぎり、丸い元の姿には帰らぬ。細君はこの理を心得ているだろうか。しきりに突ついている。
今から考えて見ると嫁に来た時の覚悟が間違っている。自分が嫁に来たのは自分のために来たのである。夫のためと云う考はすこしも持たなかった。吾《わ》が身が幸福になりたいばかりに祝言《しゅうげん》の盃《さかずき》もした。父、母もそのつもりで高砂《たかさご》を聴いていたに違ない。思う事はみんなはずれた。この頃の模様を父、母に話したら定めし道也はけしからぬと怒《おこ》るであろう。自分も腹の中では怒っている。
道也は夫の世話をするのが女房の役だと済ましているらしい。それはこっちで云いたい事である。女は弱いもの、年の足らぬもの、したがって夫の世話を受くべきものである。夫を世話する以上に、夫から世話されるべきものである。だから夫に自分の云う通りになれと云う。夫はけっして聞き入れた事がない。家庭の生涯《しょうがい》はむしろ女房の生涯である。道也は夫の生涯と心得ているらしい。それだから治《おさ》まらない。世間の夫は皆道也のようなものかしらん。みんな道也のようだとすれば、この先結婚をする女はだんだん減るだろう。減らないところで見るとほかの旦那様は旦那様らしくしているに違ない。広い世界に自分一人がこんな思《おもい》をしているかと気がつくと生涯の不幸である。どうせ嫁に来たからには出る訳《わけ》には行かぬ。しかし連れ添う夫がこんなでは、臨終まで本当の妻と云う心持ちが起らぬ。これはどうかせねばならぬ。どうにかして夫を自分の考え通りの夫にしなくては生きている甲斐《かい》がない。――細君はこう思案しながら、火鉢をいじくっている。風が枯芭蕉《かればしょう》を吹き倒すほど鳴る。
表に案内がある。寒そうな顔を玄関の障子から出すと、道也の兄が立っている。細君は「おや」と云った。
道也の兄は会社の役員である。その会社の社長は中野君のおやじである。長い二重廻しを玄関へ脱いで座敷へ這入《はい》ってくる。
「だいぶ吹きますね」と薄い更紗《さらさ》の上へ坐って抜け上がった額《ひたい》を逆《さか》に撫《な》でる。
「御寒いのによく」
「ええ、今日は社の方が早く引けたものだから……」
「今御帰り掛けです
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