の屏風《びょうぶ》を薄暗い蔵《くら》の中から出して、玄関の仕切りに立てて、その前へ紫檀《したん》の角《かく》な名刺入を置いて、年賀を受けたものである。その時はめでたいからと云うので、客間の床《とこ》には必ず虎の双幅《そうふく》を懸《か》けた。これは岸駒《がんく》じゃない岸岱《がんたい》だと父が宗助に云って聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶していた。この虎の画《え》には墨が着いていた。虎が舌を出して谷の水を呑《の》んでいる鼻柱が少し汚《けが》されたのを、父は苛《ひど》く気にして、宗助を見るたびに、御前ここへ墨を塗った事を覚えているか、これは御前の小さい時分の悪戯《いたずら》だぞと云って、おかしいような恨《うら》めしいような一種の表情をした。
 宗助は屏風《びょうぶ》の前に畏《かしこ》まって、自分が東京にいた昔の事を考えながら、
「叔母さん、じゃこの屏風はちょうだいして行きましょう」と云った。
「ああああ、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げましょう」と叔母は好意から申し添えた。
 宗助は然《しか》るべく叔母に頼んで、その日はそれで切り上げて帰った。晩食《ばんめし》の後《のち》御
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