《ひらち》に垣を繞《めぐ》らして、点在しているのは、幾多《いくら》もあった。近寄って見ると、いずれも門瓦《もんがわら》の下に、院号やら庵号やらが額にしてかけてあった。
 宗助は箔《はく》の剥《は》げた古い額を一二枚読んで歩いたが、ふと一窓庵から先へ探《さが》し出して、もしそこに手紙の名宛《なあて》の坊さんがいなかったら、もっと奥へ行って尋ねる方が便利だろうと思いついた。それから逆戻りをして塔頭を一々調べにかかると、一窓庵は山門を這入《はい》るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあった。丘外《おかはず》れなので、日当《ひあたり》の好い、からりとした玄関先を控えて、後《うしろ》の山の懐《ふところ》に暖まっているような位置に冬を凌《しの》ぐ気色《けしき》に見えた。宗助は玄関を通り越して庫裡《くり》の方から土間に足を入れた。上り口の障子《しょうじ》の立ててある所まで来て、たのむたのむと二三度呼んで見た。しかし誰も出て来てくれるものはなかった。宗助はしばらくそこに立ったまま、中の様子を窺《うかが》っていた。いつまで立っていても音沙汰《おとさた》がないので、宗助は不思議な思いをして、また庫裡を出て門の方へ引返した。すると石段の下から剃立《そりたて》の頭を青く光らした坊さんが上って来た。年はまだ二十四五としか見えない若い色白の顔であった。宗助は門の扉の所に待ち合わして、
「宜道さんとおっしゃる方はこちらにおいででしょうか」と聞いた。
「私が宜道です」と若い僧は答えた。宗助は少し驚ろいたが、また嬉《うれ》しくもあった。すぐ懐中から例の紹介状を出して渡すと、宜道は立ちながら封を切って、その場で読み下《くだ》した。やがて手紙を巻き返して封筒へ入れると、
「ようこそ」と云って、叮嚀《ていねい》に会釈《えしゃく》したなり、先に立って宗助を導いた。二人は庫裡に下駄《げた》を脱いで、障子を開けて内へ這入った。そこには大きな囲炉裏《いろり》が切ってあった。宜道は鼠木綿《ねずみもめん》の上に羽織《はお》っていた薄い粗末な法衣《ころも》を脱いで釘《くぎ》にかけて、
「御寒うございましょう」と云って、囲炉裏の中に深く埋《い》けてあった炭を灰の下から掘り出した。
 この僧は若いに似合わずはなはだ落ちついた話振《はなしぶり》をする男であった。低い声で何か受答えをした後《あと》で、にやりと笑う具合などは、まるで女のような感じを宗助に与えた。宗助は心のうちに、この青年がどういう機縁の元《もと》に、思い切って頭を剃《そ》ったものだろうかと考えて、その様子のしとやかなところを、何となく憐《あわ》れに思った。
「大変御静なようですが、今日はどなたも御留守なんですか」
「いえ、今日に限らず、いつも私一人です。だから用のあるときは構わず明け放しにして出ます。今もちょっと下まで行って用を足して参りました。それがためせっかくおいでのところを失礼致しました」
 宜道はこの時改めて遠来の人に対して自分の不在を詫《わ》びた。この大きな庵を、たった一人で預かっているさえ、相応に骨が折れるのに、その上に厄介《やっかい》が増したらさぞ迷惑だろうと、宗助は少し気の毒な色をほかに動かした。すると宜道は、
「いえ、ちっとも御遠慮には及びません。道のためでございますから」とゆかしい事を云った。そうして、目下自分の所に、宗助のほかに、まだ一人世話になっている居士《こじ》のある旨《むね》を告げた。この居士は山へ来てもう二年になるとかいう話であった。宗助はそれから二三日して、始めてこの居士を見たが、彼は剽軽《ひょうきん》な羅漢《らかん》のような顔をしている気楽そうな男であった。細い大根《だいこ》を三四本ぶら下げて、今日は御馳走《ごちそう》を買って来たと云って、それを宜道に煮てもらって食った。宜道も宗助もその相伴《しょうばん》をした。この居士は顔が坊さんらしいので、時々僧堂の衆に交って、村の御斎《おとき》などに出かける事があるとか云って宜道が笑っていた。
 そのほか俗人で山へ修業に来ている人の話もいろいろ聞いた。中に筆墨《ふですみ》を商《あきな》う男がいた。背中へ荷をいっぱい負《しょ》って、二十日《はつか》なり三十日《さんじゅうにち》なり、そこら中回って歩いて、ほぼ売り尽してしまうと山へ帰って来て坐禅をする。それからしばらくして食うものがなくなると、また筆墨を背に載《の》せて行商に出る。彼はこの両面の生活を、ほとんど循環小数《じゅんかんしょうすう》のごとく繰り返して、飽《あ》く事を知らないのだと云う。
 宗助は一見《いっけん》こだわりの無さそうなこれらの人の月日と、自分の内面にある今の生活とを比べて、その懸隔《けんかく》の甚《はなは》だしいのに驚ろいた。そんな気楽な身分だから坐禅《ざぜん》ができるのか、あるいは坐
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