叔母の云った通りを残らず話して聞かせて、
「叔母さんが御前に詳しい説明をしなかったのは、短兵急な御前の性質を知ってるせいか、それともまだ小供だと思ってわざと略してしまったのか、そこはおれにも分らないが、何しろ事実は今云った通りなんだよ」と教えた。
小六にはいかに詳しい説明も腹の足しにはならなかった。ただ、
「そうですか」と云ってむずかしい不満な顔をして宗助を見た。
「仕方がないよ。叔母さんだって、安さんだって、そう悪い料簡《りょうけん》はないんだから」
「そりゃ、分っています」と弟は峻《けわ》しい物の云い方をした。
「じゃおれが悪いって云うんだろう。おれは無論悪いよ。昔から今日《こんにち》まで悪いところだらけな男だもの」
宗助は横になって煙草《たばこ》を吹かしながら、これより以上は何とも語らなかった。小六も黙って、座敷の隅《すみ》に立ててあった二枚折の抱一の屏風《びょうぶ》を眺《なが》めていた。
「御前あの屏風を覚えているかい」とやがて兄が聞いた。
「ええ」と小六が答えた。
「一昨日《おととい》佐伯から届けてくれた。御父さんの持ってたもので、おれの手に残ったのは、今じゃこれだけだ。これが御前の学資になるなら、今すぐにでもやるが、剥《は》げた屏風一枚で大学を卒業する訳にも行かずな」と宗助が云った。そうして苦笑しながら、
「この暑いのに、こんなものを立てて置くのは、気狂《きちがい》じみているが、入れておく所がないから、仕方がない」と云う述懐《じゅっかい》をした。
小六はこの気楽なような、ぐずのような、自分とは余りに懸《か》け隔《へだ》たっている兄を、いつも物足りなくは思うものの、いざという場合に、けっして喧嘩《けんか》はし得なかった。この時も急に癇癪《かんしゃく》の角《つの》を折られた気味で、
「屏風はどうでも好いが、これから先《さき》僕はどうしたもんでしょう」と聞き出した。
「それは問題だ。何しろことしいっぱいにきまれば好い事だから、まあよく考えるさ。おれも考えて置こう」と宗助が云った。
弟は彼の性質として、そんな中ぶらりんの姿は嫌《きらい》である、学校へ出ても落ちついて稽古《けいこ》もできず、下調も手につかないような境遇は、とうてい自分には堪《た》えられないと云う訴《うったえ》を切にやり出したが、宗助の態度は依然として変らなかった。小六があまり癇《かん》の高
前へ
次へ
全166ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング