の屏風《びょうぶ》を薄暗い蔵《くら》の中から出して、玄関の仕切りに立てて、その前へ紫檀《したん》の角《かく》な名刺入を置いて、年賀を受けたものである。その時はめでたいからと云うので、客間の床《とこ》には必ず虎の双幅《そうふく》を懸《か》けた。これは岸駒《がんく》じゃない岸岱《がんたい》だと父が宗助に云って聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶していた。この虎の画《え》には墨が着いていた。虎が舌を出して谷の水を呑《の》んでいる鼻柱が少し汚《けが》されたのを、父は苛《ひど》く気にして、宗助を見るたびに、御前ここへ墨を塗った事を覚えているか、これは御前の小さい時分の悪戯《いたずら》だぞと云って、おかしいような恨《うら》めしいような一種の表情をした。
 宗助は屏風《びょうぶ》の前に畏《かしこ》まって、自分が東京にいた昔の事を考えながら、
「叔母さん、じゃこの屏風はちょうだいして行きましょう」と云った。
「ああああ、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げましょう」と叔母は好意から申し添えた。
 宗助は然《しか》るべく叔母に頼んで、その日はそれで切り上げて帰った。晩食《ばんめし》の後《のち》御米といっしょにまた縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣《ゆかた》を並べて、涼みながら、画の話をした。
「安さんには、御逢いなさらなかったの」と御米が聞いた。
「ああ、安さんは土曜でも何でも夕方まで、工場にいるんだそうだ」
「随分骨が折れるでしょうね」
 御米はそう云ったなり、叔父や叔母の処置については、一言《ひとこと》の批評も加えなかった。
「小六の事はどうしたものだろう」と宗助が聞くと、
「そうね」と云うだけであった。
「理窟《りくつ》を云えば、こっちにも云い分はあるが、云い出せば、とどのつまりは裁判沙汰になるばかりだから、証拠《しょうこ》も何もなければ勝てる訳のものじゃなし」と宗助が極端を予想すると、
「裁判なんかに勝たなくたってもいいわ」と御米がすぐ云ったので、宗助は苦笑してやめた。
「つまりおれがあの時東京へ出られなかったからの事さ」
「そうして東京へ出られた時は、もうそんな事はどうでもよかったんですもの」
 夫婦はこんな話をしながら、また細い空を庇《ひさし》の下から覗《のぞ》いて見て、明日《あした》の天気を語り合って蚊帳《かや》に這入《はい》った。
 次の日曜に宗助は小六を呼んで、
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