で、その相談まですでに叔父と打合せがしてあるようであった。新らしく出京した兄からは別段学資の世話を受けないせいか、自分の身の上については叔父ほどに親しい相談も持ち込んで来なかった。従兄弟《いとこ》の安之助とは今までの関係上大変仲が好かった。かえってこの方が兄弟らしかった。
宗助は自然叔父の家《うち》に足が遠くなるようになった。たまに行っても、義理一遍の訪問に終る事が多いので、帰り路にはいつもつまらない気がしてならなかった。しまいには時候の挨拶《あいさつ》を済ますと、すぐ帰りたくなる事もあった。こう云う時には三十分と坐《すわ》って、世間話に時間を繋《つな》ぐのにさえ骨が折れた。向うでも何だか気が置けて窮屈だと云う風が見えた。
「まあいいじゃありませんか」と叔母が留めてくれるのが例であるが、そうすると、なおさらいにくい心持がした。それでも、たまには行かないと、心のうちで気が咎《とが》めるような不安を感ずるので、また行くようになった。折々は、
「どうも小六が御厄介《ごやっかい》になりまして」とこっちから頭を下げて礼を云う事もあった。けれども、それ以上は、弟の将来の学資についても、また自分が叔父に頼んで、留守中に売り払って貰《もら》った地所家作についても、口を切るのがつい面倒になった。しかし宗助が興味を有《も》たない叔父の所へ、不精無精《ふしょうぶしょう》にせよ、時たま出掛けて行くのは、単に叔父|甥《おい》の血属関係を、世間並に持ち堪《こた》えるための義務心からではなくって、いつか機会があったら、片をつけたい或物を胸の奥に控えていた結果に過ぎないのは明かであった。
「宗さんはどうもすっかり変っちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があった。すると叔父は、
「そうよなあ。やっぱり、ああ云う事があると、永《なが》くまで後《あと》へ響くものだからな」と答えて、因果《いんが》は恐ろしいと云う風をする。叔母は重ねて、
「本当に、怖《こわ》いもんですね。元はあんな寝入《ねい》った子《こ》じゃなかったが――どうもはしゃぎ過ぎるくらい活溌《かっぱつ》でしたからね。それが二三年見ないうちに、まるで別の人みたように老《ふ》けちまって。今じゃあなたより御爺《おじい》さん御爺さんしていますよ」と云う。
「真逆《まさか》」と叔父がまた答える。
「いえ、頭や顔は別として、様子がさ」と叔母がまた弁解する
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