とんど器械的に、同じ所へ手を出した。そうして御米の抑えている上から、固く骨の角《かど》を攫《つか》んだ。
「もう少し後《うしろ》の方」と御米が訴えるように云った。宗助の手が御米の思う所へ落ちつくまでには、二度も三度もそこここと位置を易《か》えなければならなかった。指で圧《お》してみると、頸《くび》と肩の継目の少し背中へ寄った局部が、石のように凝《こ》っていた。御米は男の力いっぱいにそれを抑えてくれと頼んだ。宗助の額からは汗が煮染《にじ》み出した。それでも御米の満足するほどは力が出なかった。
宗助は昔の言葉で早打肩《はやうちかた》というのを覚えていた。小さい時|祖父《じじい》から聞いた話に、ある侍《さむらい》が馬に乗ってどこかへ行く途中で、急にこの早打肩《はやうちかた》に冒《おか》されたので、すぐ馬から飛んで下りて、たちまち小柄《こづか》を抜くや否《いな》や、肩先を切って血を出したため、危うい命を取り留めたというのがあったが、その話が今明らかに記憶の焼点《しょうてん》に浮んで出た。その時宗助はこれはならんと思った。けれどもはたして刃物を用いて、肩の肉を突いていいものやら、悪いものやら、決しかねた。
御米はいつになく逆上《のぼ》せて、耳まで赤くしていた。頭が熱いかと聞くと苦しそうに熱いと答えた。宗助は大きな声を出して清に氷嚢《こおりぶくろ》へ冷たい水を入れて来いと命じた。氷嚢があいにく無かったので、清は朝の通り金盥《かなだらい》に手拭《てぬぐい》を浸《つ》けて持って来た。清が頭を冷やしているうち、宗助はやはり精いっぱい肩を抑えていた。時々少しはいいかと聞いても、御米は微《かす》かに苦しいと答えるだけであった。宗助は全く心細くなった。思い切って、自分で馳《か》け出して医者を迎《むかい》に行こうとしたが、後《あと》が心配で一足も表へ出る気にはなれなかった。
「清、御前急いで通りへ行って、氷嚢を買って医者を呼んで来い。まだ早いから起きてるだろう」
清はすぐ立って茶の間の時計を見て、
「九時十五分でございます」と云いながら、それなり勝手口へ回って、ごそごそ下駄を探《さが》しているところへ、旨《うま》い具合に外から小六が帰って来た。例の通り兄には挨拶《あいさつ》もしないで、自分の部屋へ這入《はい》ろうとするのを、宗助はおい小六と烈《はげ》しく呼び止めた。小六は茶の間で少し躊
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