え御金があると、どうでもして上げる事ができるんだけれども」と、御世辞でも何でもない、同情の意を表した。
 その夕暮であったか、小六はまた寒い身体《からだ》を外套《マント》に包《くる》んで出て行ったが、八時過に帰って来て、兄夫婦の前で、袂《たもと》から白い細長い袋を出して、寒いから蕎麦掻《そばがき》を拵《こし》らえて食おうと思って、佐伯へ行った帰りに買って来たと云った。そうして御米が湯を沸《わ》かしているうちに、煮出しを拵えるとか云って、しきりに鰹節《かつぶし》を掻《か》いた。
 その時宗助夫婦は、最近の消息として、安之助の結婚がとうとう春まで延びた事を聞いた。この縁談は安之助が学校を卒業すると間もなく起ったもので、小六が房州から帰って、叔母に学資の供給を断わられる時分には、もうだいぶ話が進んでいたのである。正式の通知が来ないので、いつ纏《まとま》ったか、宗助はまるで知らなかったが、ただ折々佐伯へ行っては、何か聞いて来る小六を通じてのみ、彼は年内に式を挙げるはずの新夫婦を予想した。その他には、嫁の里がある会社員で、有福な生計《くらし》をしている事と、その学校が女学館であるという事と、兄弟がたくさんあると云う事だけを、同じく小六を通じて耳にした。写真にせよ顔を知ってるのは小六ばかりであった。
「好い器量?」と御米が聞いた事がある。
「まあ好い方でしょう」と小六が答えた事がある。
 その晩はなぜ暮のうちに式を済まさないかと云うのが、蕎麦掻のでき上る間、三人の話題になった。御米は方位でも悪いのだろうと臆測《おくそく》した。宗助は押しつまって日がないからだろうと考えた。独《ひと》り小六だけが、
「やっぱり物質的の必要かららしいです。先が何でもよほど派出《はで》な家《うち》なんで、叔母さんの方でもそう単簡《たんかん》に済まされないんでしょう」といつにない世帯染みた事を云った。

        十一

 御米《およね》のぶらぶらし出したのは、秋も半《なか》ば過ぎて、紅葉《もみじ》の赤黒く縮《ちぢ》れる頃であった。京都にいた時分は別として、広島でも福岡でも、あまり健康な月日を送った経験のない御米は、この点に掛けると、東京へ帰ってからも、やはり仕合せとは云えなかった。この女には生れ故郷の水が、性《しょう》に合わないのだろうと、疑ぐれば疑ぐられるくらい、御米は一時悩んだ事もあった。

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