入って、大分御無沙汰をして、それから外国に行きまして、外国から帰って来て、復《ま》た此校《ここ》へ這入った。故郷へ錦《にしき》を着るというほどでもないが、まあ教師になって這入った。そうして初めて教えたのが、今いう安倍能成君らであります。此校《ここ》を出て、大学を出て、諸方を迂路《うろ》ついている時に教えたのが、此処《ここ》にいる速水君であります。速水君を教える時分は熊本で教員生活をしておった時で漂泊生《ひょうはくせい》でありました。速水君を教えていた時分は偉くなかった、あるいは偉い事を知らなかったか、どっちかでしょう。とにかく速水君を教えた事は確かであります。形式的に。無論偉くない人だから本統《ほんとう》に啓発するほど教えなかったが、教場に立って先生と呼ばれ、生徒と呼んだことは確かにある。なお自白すれば、熊本に来たてであります。私の前に誰か英語を受持っておって、私はその後を引受けた。エドマンド・バークの何とかいう本でありますが、それは私の嫌《きらい》な本です。これ位解らない本はない。演説でも英吉利《イギリス》人が解るものならば日本人が字引を引いて解らないことはないはずである。が、実際解
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