いう代りにインデペンデントという事が重きを為《な》さなければならぬ。人がするから自分もするのではない。人がそうすれば――他人《ひと》は朝飯に粥《かゆ》を食う俺はパンを食う。他人は蕎麦《そば》を食う俺は雑※[#「者/火」、第3水準1−87−52]《ぞうに》を食う、われわれは自分勝手に遣《や》ろう御前《おまえ》は三|杯《ばい》食う俺は五杯食う、というようなそういう事はイミテーションではない。他人が四杯食えば俺は六杯食う。それはイミテーションでないか知らぬが、事によると故意《こい》に反対することもある。これは不可《いけ》ない。世の中には奇人《きじん》というものがありまして、どうも人並の事をしちゃあ面白くないから、何でも人とは反対をしなければ気が済まない。中には広告するためにやる奴もある。普通のことでは面白くないから、何か特別な事をして見たいというので、髪の毛を伸ばして見たり、冬|夏帽《なつぼう》を被《かぶ》って見たり――それは此処《ここ》の生徒などにもよくある。が、あれは無頓着《むとんじゃく》から来るのでしょう。人が冬帽を被《かぶ》っているという事に気が付けば自分も被りたくなるでしょう。故意
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