ゅったつ》して御話をしましょう。――それで文展の画家や西洋から帰って来た二人は自分で自分の絵を描かない。それから今の日本の方のは自分で自分の絵は描くけれども未成品である。感想はそれだけですがね。それについてそれをフィロソフィーにしよう――それをまあこじつけてフィロソフィーにして演説の体裁《ていさい》にしようというのです。どういう風にこじつけるかが問題であります。それが旨《うま》く行けば聴かれそうな演説である。巧《うま》く行かなければそれだけの話である。まあどういう風に片付けるかという御手際の善悪などはどうでも宜《よ》いのですから。
 人間という者は大変大きなものである。私なら私一人がこう立った時に、貴方がたはどう思います。どう思うといった所で漠然たるものでありますが、どう思いますか。偉い人と速水君は思うか知らんが、そんな意味じゃない。私は往来を歩いている一人の人を捉《つか》まえてこう観察する。この人は人間の代表者である。こう思います。そうでしょう神様の代表者じゃない、人間の代表者に間違いはない。禽獣《きんじゅう》の代表者じゃない、人間の代表者に違いない。従って私が茲処《ここ》にこう立っ
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