いう絵を排斥しているのが文展である。こういう訳であるから、それが一列一帯にチャンと御手際だけは出来ておらないといけない。御手際が出来てない物は皆落第する――のですかどうか分らないが、とにかくそういうことを私は文展において認め、かつその文展における絵の特色と人間の特色と相対していわゆるゼントルマンに比較して考えたのであります。
それからその次に或《ある》人が外国から帰って展覧会を開いた、それを見に往きました。二人でありました。その一人の絵を見ると、油絵で西洋の色々な絵を描いている。アンプレッショニストのような絵も描いている。クラシカルな、ルーベンスなどに非常に能《よ》く似たような絵も描いている。仏蘭西《フランス》派であるが、あれを公平に考えて見ると、彼《あ》の人は何処《どこ》に特色があるだろう。他人《ひと》の絵を描いている。自分というものが何処にもないようですね。巧《うま》い拙《まず》いにかかわらず、他人の描いたようなものはいくらでも描くんですが、それじゃ自分は何所《どこ》にあるかというと、チョッと何所にあるか見えないような絵を展覧会で見せられました。その次にもう一つの外国から帰った人
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