川家が将軍に成《な》った末で余り勢いは強くなかったけれども、とにかく将軍というものが政権を持っておってその上に天子様《てんしさま》がおられるという。これは一般の法則でないという処から、習慣的に続いて来た幕府というものを引っ繰り返したというのは、その引っ繰り返るという時の人の胸中《きょうちゅう》に同情があって、その同情を惹《ひ》き起すという事が出来なければ、あれは成功は出来ないのである。だから徒《いたずら》にインデペンデントということは不可《いけ》ない。人間の自覚というものは一歩先へ先へと来るものである。一歩遅れたら人より一歩遅れて歩行《ある》かなければならない。人は相当の時期が来ればその通りになるべき運命を持っているのだから、一歩先に啓発しなければならぬ。それが強い深い背景といえばいえる。それがなければ成功は出来ない。
 成功ということについて歴史などの例を挙げたが、誤解されるといけないからここに手近い例をもう一つ挙げて置きたい。学校騒動があってその学校の校長さんが代る。この学校ではありませんよ。そうすると後に新しい校長さんが来ましょう。そうしてその学校騒動を鎮《しず》めに掛《かか》る。その時は色々思案もやりましょう計画も要《い》りましょう。刷新《さっしん》も色々ありましょう。そうして旨《うま》く往《い》けばあの人は成功したといわれる。成功したというと、その人の遣口《やりくち》が刷新でもなく、改革でもなく、整理でもなくても、その結果が宜いと、唯その結果だけを見て、あの人は成功した、なるほどあの人は偉いということになる。ところが騒動が益《ますます》大きくなる。そうすると今まで遣《や》ったその人の一切の事が非難せられる。同じ事を同じように遣っても、結果に行って好ければ成功だというが、同じ事をしても結果に行って悪いと、直ぐにあの人の遣口は悪いという。その遣方《やりかた》の実際を見ないで、結果ばかりを見ていうのである。その遣方の善《よ》し悪《あ》しなどは見ないで、唯結果ばかり見て批評をする。それであの人は成功したとか失敗したとかいうけれども、私の成功というのはそういう単純な意味ではない。仮令《たとい》その結果は失敗に終っても、その遣ることが善いことを行い、それが同情に値いし、敬服に値いする観念を起させれば、それは成功である。そういう意味の成功を私は成功といいたい。十字架の上
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